■やっぱり、これって違うと思うんですよね
4月も半ばを過ぎたこの時期ですが、今年はまだまだ学習塾の折込チラシが減ってこないように感じています。そういった中で、目にとまったものがありました。
小学生対象の「英語・英会話教室」と「プログラミング教室」の広告でしたね。もちろん、この手の枕詞として「新しいタイプの~」、「ワンランク上の~」なんてのが付いていました。学習塾の現場で日々、子どもたちと接していればもっと優先順位の高いものがあることを肌身で感じるはずだと思うんですけどね。
ほんとうに、子どもたちのためを考えたら、こんなことやっている場合じゃないでしょ。一定の量を期限を切って覚えたり、出来るようになるまで何度でもやり直しをしたり、ダメなときに「さあ、どうする」と言って詰められたり、そういったことを経験させて学習に対するストレス耐性を強くしていかないと、「新しいタイプ」だろうが「ワンランク上」だろうが、どれだけ「ありがたいモノ」を与えても意味がないと思いますけどね。
先日、テレビでこの時期から文部科学省が例の小学6年生、中学3年生を対象とした学力調査テストを実施することが報道されていました。その結果は7月頃に発表されるそうですが、全般としての学力状況なんて容易に想像できちゃいますよね。2ケタ繰り下がりのひき算のできない小学生やら分数計算ができない中学生なんてのが結構な割合で存在することが確認されたり・・・要は「できない」、「ダメ」なことを確認して終わるようなテストになるんじゃないかな。そういった今の子どもたちの現状が「小学校からの英語教育」だの「プログラミング授業」だのといった施策と全くかみ合っていないですよ。私に言わせれば、こんなの所詮は着せ替え人形かファッションのようなものにしか思えません。
「本来、習得するべきものを習得するべき時期にしっかりと身につける」という過程を経て、成功体験を持った少数の人たちがあらゆる分野において活躍する時代になってきていますしね。「できる人は何でもできる、一方で・・・」といった傾向が加速化しているように感じます。
要は、集中力と耐性なんじゃないかな。高校野球の全国大会をみても、偏差値65以上の名門進学校なんかがほんとうに目につくようになってきましたしね。最近では野球に限らず、こういったケースがほんとうに多いですよ。まもなく始まる高校野球の夏の地区予選、そういった視点で見てみるのも興味深いんじゃないでしょうか。
20年後の社会に想像力の翼を広げるとき、「究極の格差社会」の出現が現実味を帯びてきているように思えてなりません。もしかしたら、平成の後半以降から新元号の前半にかけての時期は、将来の社会学者のみなさんから「教育の失われた20年」なんて呼ばれていたりしてね。この種の思考をめぐらせるとき、いつも頭に思い浮かぶ言葉があります。そうです、「滅亡への道は、善意によって敷き詰められている」という昔から世界中で使い込まれた例のフレーズです。今回もまた、私の未来予想図が間違っていてくれることを心から神に祈りたくなります。
Takahide Kita