■平仮名が書けない高校生?
これって、いわゆる文盲ということじゃないんです。正しくは、「平仮名が正確に表記できない高校生」ということなんです。特に、拗音、濁音と音便ですかね。
最初にこの話を耳にしたというか目にしたのは4、5年前の新聞の記事だったと記憶しています。都立高校普通科で国語の教鞭をとっておられる方の匿名寄稿でした。入学式を終えて、4月の授業が始まり、「ああ、今年もやっぱりいるんだな・・・」といった内容でした。
私自身、これはさすがににわかには信じがたく、イメージも出来なかったので、その後はほったらかしにして忘れかけていたんですよね。ところが、最近知り合った方で・・・ほんとうにいたんです!
この方、たとえば「ありがとう」が「ありがとお」になります。最初は近頃よく見られるようになった「遊び心で誤変換させた」だけなのかなとも思ってはみたんですが、いつもそうなんです。直接会って話してみると、やはり・・・でした。その場ですぐに間違いであることを指摘し、紙にいくつかの文例を書いて手渡したんですが、本人はそれまで全く違和感なく間違った表記を使っていたということでしたね。
これ、実は平仮名に限ったことじゃないですよね。もっと多いのは分数計算とかじゃないかな。じゃあ、どうしてこんなことになってしまうんでしょうか。
第一に、小学5年生の習得すべきときに出来ないまま放置した、または放置された。第二にそれ以降は誰からも分数が出来ないことを指摘されることがなかった。
気を付けなければならないのは、この二番目のほうです。中学生、高校生、そして大学生、社会人と歳をとるにつれて、人は心の中で思っていても人間関係がこじれるのを避けるために口には出さなくなります。
私の担当する複数のクラスで子供たちに尋ねたところ、その全員が自分の友達や知り合いで分数ができない子がいる、と答えましたね。さらに、そのことを指摘してあげたという生徒は皆無でした。中学生でこれですから、その先は容易に想像できますよね。
厄介なことに人は中身が成長しなくても、歳とともに身体は大きくなり、プライドだけは持つようになります。中学生に小学5年生の授業に出るように言っても、恥ずかしくて出ませんよね。恥ずかしがっているうちはまだいいんですが、そのうちにもうどうでもよくなったり、「そんなの出来なくても何も困らないよ!」なんて、いわゆる認知的不協和の際にみられる典型例になってしまいます。
残念ながら、こうなってしまったらもう改善の余地はほとんどありません。あとは、本人にとって居心地がいい場所をその都度さがしていくことになるんでしょうね。
うちの子供たちには、自分の手の届かないところになった葡萄は「どうせあんな酸っぱい葡萄なんかいらない!」と思って諦めるのではなく、葡萄に手が届くまで成長してもらわなければなりません。
Takahide Kita