コラム

■「ケジメ」をとるって、ほんとうに大切なことですよね

大きな失敗をしたり、他人に対して不義理をしたりしてしまったとき、ほんとうに恥ずかしく、あわせる顔もなく、逃げ出したい気持ちになります。でも、そこのところでの自分自身への向き合い方なり言動がその人のその後において、大きな分岐点になっているようにも思えます。

自民党で衆議院議員をやっていらした女性の方で、秘書に対するパワハラの末、議席を失ったTさんのこと覚えていますか。一時期、マスコミで画像や音声を取り上げられて、大騒ぎになっていましたよね。そうです、「コラァー、このハゲ!」と叫びながら秘書の方に蹴りをくれていた、あの女性です。この方、問題となったパワハラ事件の直後の総選挙に立候補して、恥を晒しながら、そして罵声を浴びながら以前の支持者のみなさんに頭を下げてまわっていらっしゃいましたよね。もちろん、そのような状況ですから、当選できる可能性は皆無です。

その当時は、「なんとも未練たらしいことやねぇ」なんて目で眺めていましたが、先日、テレビのコメンテーターとして登場されているお姿を偶然拝見しまして・・・当時と比べて、何と言いましょうか、顔から憑き物がとれたような印象を受けました。コメントの内容も、さすが東大法学部からハーバード、そしてキャリア官僚を経ただけあって具体的かつ明快なものでしたよ。正直、びっくりしましたよ。こんな感じなら、まだこれからも彼女の活躍の場はあるんじゃないかな、なんて思った次第です。

私にも全くレベルは異なりますが、似たような経験があります。以前、高校入試で大恥をかきましてね。20年近く前になりますか、担当するクラスで早大学院の合格者を0名にしてしまったことがありました。試験が終わって、子どもたちが戻ってきた後に、答案を再現させて点検したところ、これがまた大惨事という結果で、「もうこれは合格者はいないかな・・・」、なんて事前にある程度はわかってしまったわけです。

その当時は、今のようなインターネットでの合格発表ではなく、各校がそれぞれ合格掲示を行ってましたので、私は自分の指導した生徒の主要校の合格発表は必ず自分自身で確認のため足を運んでいたんです。しかし、この時、不覚にも「もう早大学院の発表は行かんでもいいかな」という発言を同僚たちの前でしてしまったんですよね。その場にいた私よりも10歳ほど若い講師の方にこう言われたんですよ。「先生は絶対に学院の発表に行かなければダメだ。そして、その場で恥をさらしてこなければ、来年からの先生はない!」全くもって、そのとおりですよね。私、自分の大失敗から逃げ出そうとしていたわけです。

合格発表の場では見知った進学塾SやWの先生方と顔を合わせ、穴があったら入りたいとはこういうのを言うんでしょうね。自分のクラスの生徒の保護者の方とも顔を合わせ、「先生、不合格でした。申し訳ありません」なんて言われて・・・自分が情けなくて情けなくて、涙がでそうになったことを鮮明に記憶しています。

今考えれば、逃げようとしていた私を叱咤してくれた、その若い講師の先生には感謝しかありません。私を「地獄行直行便」から救ってくれたようなものですからね。ちなみに、翌年にこの先生と組んだ2クラスは男子早慶全員合格、早大学院でも合格率90%という結果でした。

人はこういった自分の不手際に直面した場合、本能的に逃げようとするのかもしれません。しかし、そこで何とか踏みとどまって「ケジメ」をつけることをしなければ、次に進めないようになっているんだなあ、と強く思います。

そこのところを「うやむや」にして、本来自分が負うべき責任を他人に押し付ける、そういった御仁を今まで何人も見てきましたが、その後、成功をするなり、幸せを手に入れたというケースはほとんどありませんからね。おそらく、「逃げ切り」とか「時間が過ぎるのを待つ」といったことでは、ダメなんでしょうね。よく言う「世間が許さない」とかいうアレでしょうか。残念ながら、私にははっきりとした理屈なり仕組みを説明することはできません。まあ、畑違いではありますが、アダムスミスの言葉を借りれば、「神の見えざる手」が働くといったところなんでしょうかね。

Takahide Kita