■目が早い人、遅い人
私、「目が早い、遅い」という表現をちょくちょく使います。たとえば、「学習塾の講師として目が遅いのはダメやね」といった具合いに用います。
もともとは私の好きな俳優、クリントイーストウッド主演の戦争映画で「あいつは目が遅い、目が遅い奴は戦場では一番最初に死ぬ」といった台詞から借用させていただいたものです。「戦場で敵が自分を見つけるよりも早く自分が敵を見つけることができる。また、状況の変化をいち早く察知することができる」といった能力という意味で使われていましたね。
私たちの日々の業務の中でも、目の早い講師は子どもたちや保護者のみなさんのちょっとした言葉や行動の変化をしっかりと見て取って直面する課題の改善をすみやかに図ったり、問題の発生を未然に防ぐといったことができますね。場合によってはその対象は子どもたちに限らず職場のスタッフやプライベートな友人知人に対しても同様でしょうね。
逆に、目の遅い人はこのような問題発生のサインに気付くことなくその問題が大きくなってしまってから大騒ぎをしたり、致命的なところまでいってしまってから慌ててアリバイ的な行動をとったり、言い訳を始めたりとか・・・周りを巻き込んでの大騒動になってしまいます。
これって、その人の「育ち」によるところが大きいとは思いますが、小中学生ぐらいまでであればトレーニングによって一定レヴェルまでは改善することができると思いますね。私たちの行う教科指導(授業)次第では、細かな変化にでも気付くような肌感覚の修得が可能だということなんです。
たとえば、同系統の問題でも条件を少しだけ変えて対照させてみたり、板書のある部分をわざと間違えてその瞬間の子どもたちの反応を確認した上で趣旨を説明してみたり・・・などなど。すべての子どもたちに有効とは言い切れませんが、一定の成果は確実にあります。
私はこういった目を早くするトレーニングを行うことは教科指導内容(解法のテクニックなど)よりも優先順位の高いものだろうと考えますね。「目の早さ」というものが上位難関校の入学試験を突破するための一助となることはもちろんですが、その先にある「生きる力」を支える大切な能力のひとつだと思うんですよね。そもそも、子どもたちが「なぜ勉強するのか」を少しでも考えれば、「まあ、そりゃそうやね!あたり前でしょう」なんて容易に納得できちゃいますよね。
Takahide Kita