■上手は下手の手本、下手は上手の手本
以前にも一度、世阿弥の「風姿花伝」からの話をしましたが、今回もそこからのテーマになります。
これって、「下手な人にも見るべきところがあるので、上手もそういったところはしっかり学ぶべきだ」といった意味ではないんですよね。結論から言えば、上手も下手も最も気をつけておかなければならないものは「慢心やおごり」であることを世阿弥がその弟子たちに戒めたものなんですよ。
まあ、人間は自分が辿ってきたことの上で物事を判断したり、人の器量や能力をはかりますからね。その道のプロとか名人といわれるような人は確かに素晴らしい技や成功体験を持っていますが、そうでない人に対して「ふん、所詮その程度か」、「こんな下手くそから一体何を学べというんだ」なんて思っちゃうんでしょうか。名を頼み、テクニックに隠されて自分の欠点が見えなくなってしまうんでしょうね。
一方で、いつまでも下手な人はもともと工夫や努力がないのですから、たまたま自分に備わっている長所があったとしても、それに気づかないことがほとんどですね。これでは成長のしようがありません。
自分に自信を持つのは大事なことなんですけど、それが慢心や絶対的な自己肯定になってしまうとその先のさらなる成長はないと思います。若いスタッフなんかで、こいつは能力やセンスもあってこの先が楽しみだなんて眺めていてもある時期から全く成長しなくなる、なんてことがよくありますよね。
一定のところまでは能力ややる気だけで伸びていけたとしても、そこから先は「自分はこれからも必ず成長し続ける!」と決めた人だけがさらに大きくなっていけるんだと思います。「あの人、一昔前はすごかったらしいよ」なんてよく耳にする言葉ですが、自分が言われていると思うと背筋が寒くなり、ゾッとします。昨日の自分自身に勝てるように、今日も精進していかなければなりません。
Takahide Kita