■寛容性なき匿名社会・・・いやだなぁ
最近の風潮として、「他人のミスをとにかく徹底的に叩く」といったケースが多くなってきたように感じています。
誤った認識やミスを正すことはとっても大事なことだとは思います。しかしながら、人がやる限りにおいて勘違いやミスを完全になくすことは「無理難題」といった類のことです。
間違いやミスを指摘する場合には、そこに生産性がなければ意味がないでしょ。それを指摘し、正しく修正することで不利益を被った人の利益が回復されたり、公正が保たれるといったことがなければ、ただ単にその行為自体が目的になっちゃいますからね。
そういった「指摘し非難すること」を目的としたあからさまな発言や行為に接したとき、私はほんとうに不快になっちゃうんですよね。そもそも私自身、ミスや勘違いは減らすことはできても「ゼロ」にすることはできませんから、相手に対してそれを要求するなんて思いもよらないことです。
さらに、指摘し批判する側が匿名であるケースがほんとうに多くなりましたよね。これでは、その間違いを指摘してくださった方に直接お礼を申し上げたくても叶いませんし、再反論もできないような場合がほとんどなんじゃないかな。
私はこれまで匿名で自分の考えや意見を上げたことがありません。まあ、自分の性に合わないんですよね。今まで、様々な場面において自分の意見や考え方を活字にして提出してきましたが、そこには必ず自分の名を記してきました。それがその活字を読んでいただけるみなさんへの最低限の責任と礼儀だと考えています。というより義務かな。
匿名ってのは、そもそもジャーナリストなんかが権力に向かって何かを告発したり、訴えたりするような場合にその身の安全を守るためのやむを得ない手法ですよね。個人情報の保護が大きな声で叫ばれる過程で、様々なところで匿名性も変な拡がりを見せてきたように思います。そもそも責任がないと何でも書けちゃいますからね。私の知っている方が夜中にPCに向かって、あることないこと好き勝手に書き込みをしている姿を想像するだけで気持ちが悪くなってきちゃいます。
実は、私も15年ほど前のことになりますか、例の「○ちゃんねる」とかいう掲示版で結構やられたことがあるんですよね。あれね・・・投稿10本のうち9本までは完全なデマで根も葉もない中傷でしたよ。しかーし、残りの1本は事実にかなり近い内容だったと記憶しています。「えっ、なんでこんなこと知ってはるの!」といった具合で、今でも、もし投稿した方が誰かわかるものなら、「どうやってその情報を仕入れたのか」尋ねてみたいほどですね。(笑)
Takahide Kita