■ほんとうに貴重な体験でした・・・(泣)
7月25日早朝、いつものように6時過ぎに起床、寝室からリビングへ移動し、いつものソファーに座り、コーヒーを飲みながら「日経モーサテ」を見ていました。玄関まで新聞を取りに行くために、腰を上げようとした刹那、「ギャー!!!」と叫び声を上げ、その場に転がってしまいました。とにかく「痛い」、立ち上がれない。
確かに、3日程前から予兆はありました。腰の左側にきしむような違和感があって、「まあ、大丈夫でしょ」なんて具合でそのまま放置しておいたんです。その結果が、この悲劇です。
とにかく、9時になるのを待って、タクシーを呼んで整形外科に直行しました。CTとMRIを撮影した上での診断は、なんと「ギックリ腰」!まあ、内臓系の疾患ではなく、ある意味一安心はしたのですが・・・悲しいやら、情けないやらで。
正直いって、自分が「ギックリ腰」になるなんて、想定外も想定外、ありえないと思っていましたよ。これまでに他人様がギックリ腰になったという話を聞いても、「大げさなこと言うてはるよな」なんて、鼻で笑ってましたからね。
医者が言うには、「一気に良くなることはありません。薄皮を一枚一枚はがしていくように、少しずつ痛みがなくなっていくという感じでしょうか」。正直、これには絶望的な気持ちになりましたよ。だって、夏期講習が始まったばかりで、今日だって授業がありまんがな!「せめて一時的で構わないので痛みを止めてくれ!」なんて懇願しましたが、無情にも「ダーメ」でした。その時は、この医者が鬼に思えましたね。
薬をもらってから、自宅に帰り、それから何とか校舎に向かいました。私、普段は早く歩くほうなので、最寄りの駅までは、5分程度なんですが、この日はなんと20分以上はかかりました。加えて、20mほど歩くたびに激痛が襲ってきまして、「ギャー、痛てぇ!」の連続ですから、たまったものではありません。電車に乗っても、座ることができない。一度、座ったら、立ち上がるのに「ギャー」付で1分以上はかかりますし、それから慣らして歩きはじめるのにもっと時間がかかります。さらに、京王八王子駅に着いてからPEGに向けて、同じ行程をもう一度繰り返すわけです。
校舎に到着してからも悲劇は続きます。その日は入塾希望の保護者面談が1件予定されていたのですが、私の方は壁に寄り掛かった状態で、座った保護者の方を見下ろす形での失礼極まりない面談になってしまいました。それから授業を数時間やってから21:30の終業までずっと立ちっぱなしという一日でした。さらに、そこから帰宅までの行程で来るときと同じことを再度繰り返します。
そして、自宅に戻ってから、さらなる地獄が繰り広げられます。私一人では着替えひとつできません。食事も立ったまま食べますし、便所に行って用を足すのもままなりません。最後のトドメは就寝するときにやってきます。座ることすら厳しい私が、コルセットを外して布団に横になるのですから・・・あとはご想像ください。それから10日間ほど、このような地獄絵図が続きまして、やっとこさ日常生活に何とか支障のない程度にまで回復することが出来ました。
この期間、かなり「キツーイ」思いはしましたが、一方で新しい発見や気づきといったものも数多くありましたね。普段は気にもしないような、道路のちょっとした高低差をイヤというほど味わいました。道路は冠水しないように、両側の側溝にかけて緩やかな傾斜になっているんですねぇ。エレベーターの有り難さもしみじみわかりました。これを発明した人、神ですよ。
普段は、私の前をゆっくり歩く人に対して、心の中で「オラ、オラ!」といった感じで煽っていましたが、この間は、年配の方はもちろん、ランドセルを背負った小学1年生あたりにまで私のほうが煽られる始末でしたからね。ほんとうに、それまではあまり考えなかった社会的生活弱者といわれるみなさんの大変さを、ほんの少しだけ垣間見ることができました。
私にとって、昨日まではあたり前として存在した「日常」の有り難さというものを嫌というほど思い知らされ、自らの傲慢さを猛省した10日間でしたね。これで、私も少しは優しくなれるような気がしています。
Takahide Kita