■「まちがったこと」を全力でやる悲劇
これって意外と多いんですよね。以前にもお話しさせていただいたドイツの名将ゼークトの言を借りれば、組織の中では「もはや排除するしかない」対象ということになります。
自分では良かれと思い、勝利なり成功なりを目指して頑張っているつもりが、周りから見れば地獄を目指して「全力疾走中!」という状況なんですよ。こいつの一番やっかいなところは、まわりが間違いや危険性を指摘しても耳を貸さない、というより「より頑なに」なってしまう。典型的な認知的不協和の状態で固まってしまうんですよね。
集団で全力疾走している場合はさらに悲劇的な状況に陥ってしまう。こちらはもはや集団催眠といったところでしょうか。国家レベルでやっているとこもあったりしますから、そりゃ、えげつないことになりますでしょう。
私の場合ももちろんそうなる危険性はあります。そうならないためには、自分の周りに意見をしてくれる人をしっかりつかまえておいて、私の意見や行動に一定のアンチテーゼを示して考えさせてくれる存在が必要です(もちろん、そこには忖度などあってはいけません)。あえて、時間と手間をかけてでもそういった意見なり考えを聞きに行くぐらいでちょうどいいんじゃないかな。そういった行動は、一旦自分を否定し、自分のやってきたことの中でも特に成功体験を否定する、といったところから始まりますから・・・私のような凡人にはかなり難しいことなんですけどね。(苦笑)
まあ、この手の「全力疾走」も自分の個人的な趣味なんかでやってくれている分にはいいんです。所詮まわりからすれば、遠い宇宙の果ての出来事にすぎませんから。しかしながら、これが仕事なんかのフィールドに移ってくると、そりゃもう大変ですよね。金融ビジネスなどであれば、ほどなく結果が出てきますから、組織としての修正力がはたらきますが、教育の現場など閉じた空間で「人」を対象にしているような場合はもう目もあてられません。結果が出るのは数年、数十年先、しかもその人の人生に決定的なダメージとなって現れますから、取り返しがつきません。「地獄目指して全力疾走」の反復、連鎖、バトンリレーといったところでしょうか。
私たちは、国の内外を問わず、そういった景色を幾度も目にしてきました。「○○○世代」とかいうアレもそうです。その当時の社会情勢にも一因はあるのでしょうが、やはり教育による影響が大きいと考えますね。しかも、そこに導いていった人は決して責任をとったりはしませんよ。我が国における太平洋戦争末期、そして戦後のその反動期、近くでは平成のゆとり教育期など、それは歴史が証明している事実です。
教育における価値観は振り子のように左右に振れるものです。価値観の違いはお互いに相手を尊重できていれば問題ありませんが、最近多くなってきた「なーんちゃってリベラル」的な価値観の押し付けや思想的感情的なものに起因するプロパガンダの類はご遠慮いただきたいものです。やっている本人たちはいたって真剣にやっているつもりなんでしょうが、それがゆえに先々でとりかえしのつかない悲劇を生みだしかねません。
Takahide Kita

