コラム

■トランプ劇場もそろそろ最終回なのかな?

早いもので、あの大統領選挙のサプライズからもう4年近くが経ちます。朝のニュース番組で開票速報と自分のポートフォリオを見ながら、「うぉー、マジか!」なんて驚いたのがつい先日のことのようです。あれから3年半、ある意味で斬新な発言、行動で世界中を振り回してくれました。彼のTwitterのつぶやきひとつで世界中の株価が乱高下したり、「アメリカファースト」を激しく訴えて、それまでの既成概念を次々に破壊していったわけです。

私がこの3年半で感じたことは、シンプルに言えば「この人、ほんとうに正直なんだ」ということでしょうか。最初は、「この人、演じているかな・・・」とも思ったんですが、やっぱりこいつは地でやってるのねぇ・・・が今となっての実感です。どんな国のリーダーでも、かろうじて建前で「協調」、「互恵」、「おもいやり」などという言葉を表に押し出してはいますが、本音は、自国ファーストで自分ファーストですよね。でなきゃ戦争なんてものは起きません。

加えて、この人、やると言ったことはやりますよね。現に、TPPからの離脱、地球温暖化防止条約からの撤退、大規模税制改革による大幅減税、そして鉄鋼アルミ分野での関税規制をもっての国内斜陽産業(ラストベルト地域)の保護などなど、メキシコ国境に壁までつくっちゃいました。これらは、その結果の良し悪しは別として、すべて彼の選挙公約です。

私、こういったタイプの人、好きとは言わないまでも、憎めないんですよね。

国の内外を問わず、「○○のトランプ」などと呼ばれている方(なかには自称の場合もあるでしょうかね、笑)がこの間に雨後の筍のごとく生まれています。私の故郷の姫路でも「姫路のトランプ」と呼ばれる方がおられたようで、先日、全国版の報道で破産されたというニュースを耳にしました。ニュースで報道されるくらいですから、そこそこは大物だったということでしょうか。まあ、昔から、「今太閤」だとか「浪速の○○○」とか呼ばれて、行ききった人はほとんど記憶にありませんし、その多くが悲劇的で惨めなな結末をむかえていますからね。

でも、トランプ氏は大統領なんですよ。アメリカ合衆国という自由主義、民主主義の本家本元の国民が公正な選挙によって選んだ「アメリカ合衆国第45代大統領」なんですよね。間違いなく世界中への影響力No.1のお方なんです。

一般人が彼のように振る舞ったところで、そこには人々の支持によって裏づけされた基盤もないわけですし、その発言や行動の目的から言っても、そりゃ単なる「下品で変な人」、「勘違いした人」ということになってしまいます。それどころか、友達がいなくなっちゃうでしょうね。ちなみに、トランプ氏とは大統領になる前からのお付き合いがある日本人金融マネージャーのH氏によれば、トランプ氏はほんとうにいい人で、相手にこまやかに気を遣う人ということです。

そんなこんな「トランプ劇場」ですが、果たして近々最終回を迎えて「Good by!~ Fin.~」となるか、12月から「Season2 Start!」となるか、正直、本邦の選挙より興味深く、ワクワクしてしまいます。平凡で停滞し閉塞感に覆われた日常よりも、その方向性はともかくとして、動きや変化のある刺激的な日々を過ごしたいと願う「自分」がここにいます。

Takahide Kita

■「自助努力」という言葉はNGですか?

私の行動指針のど真ん中に「誠実」というのがあります。その一方で、「でたらめにはでたらめ返し」というのも同じくらいの重さで存在しています。まあ、でたらめなモノに誠実に対応していても腹が立って、疲れるだけですからね。

今回の内閣総理大臣の交代の際に、新総理が最初の会見で「自助・共助・公助」という言葉を使われたようで、行政のトップたるものが、国民に対して「自助」とは何事か!といった反発の声が上がっているようです。しかし、誰かを支援したりする場合、その対象となる人が真剣に自助努力をしていることが大前提ですよね。これなくして、支援だの共助だのという話しにはならないでしょう。どんなに立派な理屈や綺麗な看板をつけても、私には全く響いてきませんね。子どもでもわかる話しだと思います。

確かに、「自助努力」という言葉は、時として力を持った人たちによって都合よく使われることはあります。また、「自助努力」を求められた人からすれば、これは結構キツかったりもします。ただ、本来、支援や援助といったものよりも先ず「自助努力」があるわけで、それがもはや限界といった場合に「共助」なり「公助」といったところに移行するのではないでしょうか。食べる前から、もう「おかわり」をおねだりするようになってしまっては、助ける方も唖然としてしまいます。

そもそも、個人の「自助」によって積み上げられた余裕があってこその「共助」や「公助」であり、これらの源はやはり「自助」というところに行きつくでしょう。

と、ここまで書いて、お茶でも飲みながらテレビのニュース番組をみていると、新しい総理大臣が首相官邸で記者の質問に答えている映像が目に入ってきました。「えっ!」と一瞬言葉を失いましたね。新総理の顔つきが・・・官房長官在任中に会見をされていたイメージとは全く違うじゃないですか。目を大きく見開いて活気にあふれた表情で、しかもその目が笑っていない。見た瞬間、ほんとうに「ゾクッ」としましたよ。

そういえば、新総理は昨今の代議士さんには珍しく、たたき上げの苦労人ということでした。秋田から上京し、アルバイトで学費を稼ぎながら大学に通われたとか。政治を志してからは世襲議員さんなんかとは違い、市議会議員からスタートし、ついにわが国の宰相の地位まで上りつめられたと聞いています。ということは、「自助」の生きた見本のような人ということになりますよね。

新内閣の支持率はご祝儀的なものもあってか、60%を越える高いものになっているようですが、そこには「たたき上げの苦労人」なら弱いものの気持ちがわかってくれるのでは、といった期待も含まれているものと思います。でも、おそらくはそんな期待はすぐに吹っ飛ぶんじゃないでしょうか。

たたき上げで成功したり出世した人の多くは、頑張れない人や努力しない人を決して認めません。苦労人は苦労している人の気持ちはわかりますが、そこから逃げたり、頑張ることをしない人の気持ちや行動には納得できないでしょうからね。「なぜ、お前は辛抱できないんだ」、「その程度は頑張りのうちに入らんよ」といったように相手に迫ってきます。はっきり言わないまでも、心の中ではきっとそう思っているでしょうね。これからは、「頑張れる人は頑張れ、そしてそうでない人は・・・」といった新自由主義の方向に行くのかな、なんて漠然と感じます。

ところで、うちにはあの太平洋戦争の矢玉の下をかいくぐってきた80歳を越える母親がいるんですけどね。今も田舎の姫路に健在です。そのオカンから僕ら兄弟は耳にタコができるほど聞かされましたよ。「勉強でも、仕事でも頑張らなあかんよ。怠けてばっかりおったら、他人様に迷惑かけたり、いつかは国の世話にならなあかんようになってしまうで!」、この前帰省したときなんかは、こんなことも言ってましたね、「国は大丈夫かいな、みんなにようさんお金配ってしもうて、国もお金ないんちゃうんか?」 私、笑いながら答えましたよ、「まあ大丈夫やろ。国かてアホやないさかい、この先税金上げて取り戻す算段ぐらいはしてはるて」

まあとりあえず、私の方としては久々に登場した、気合いの入った総理大臣様から「自助だ!頑張ってくれ!」と頼まれてるわけですから、頑張っていいとこ見せないわけにはいきませんよね。

Takahide Kita