コラム

■塾に通って勉強しないのは・・・

学習塾って目的がはっきりしている場所ですよね。子供たちの首から上を鍛える、そして能力、特に処理力を高めて、結果志望校に合格する。寿司屋に入って、「おれ寿司は嫌いだから焼肉をくれ」なんてありえないですよね。塾に通っているのに勉強しないというのはこれと同じことでしょ。

うちの近くにあるコンビニの駐車場で夕方の7時頃によく見かける中学生たちがいます。近くの大手塾(自称「進学塾」のあそこです)に通っている子たちのようですが、いつも車止めに腰をかけてコンビニで買ったものを口に入れながら塾の宿題らしきものをせっせとノートに写してるんですよね。「こいつら、意味ないことをしてるなあ」と思うんですが、見ているだけでなんかかわいそうで切なくなってきます。

勉強が好きとか嫌いとかは関係ないんですよね。そもそも勉強が好きなんて子はめったにいませんし、嫌いでも素晴らしい成績を修めている子はいくらでもいます。

要は「なぜ勉強をするか」といった理由付けを持っているかいないかの違いだと思いますね。まあ、勉強してたらいいことがあるかな・・・ぐらいのイメージでもいいんですよ。小中学生の時期から大志を抱いている子なんてこの豊かな平成の時代にはまずいませんから、「世の中のために・・・」とか言っちゃあいけません。「自分の将来のために・・・」なんてのも抽象的過ぎますし、「じゃあ、あんたは12歳の時に自分の将来を真剣に考えて勉強してたの?」なんて問い返されたら、大人はもう逆ギレするしかなくなっちゃいますよ。

私は子供たちにはこう言いますね、「勉強して身につけた学力ってのは『お金』とよく似てますね。お金では手に入れることが出来ないものがあるように、学力だけでも手に入れることが出来ないものはあります。でもお金や学力って無いととっても不自由なんだよね。」

立派な両親や家族に守られているうちはいいんでしょうが、独り立ちした後は仕事や友人関係、日常生活におけるあらゆる場面で学力はその人の自由度を高めてくれます。

受験勉強における知識の習得はそれ自体が目的ではありません。近い将来に「学問」を修めるための前提条件、土台作りです。そして、10年後に仕事に就いて自分の力で稼いで生きていくための必要条件と言ってもいいのではないでしょうか。親が子供に残してあげることができるものは「学力」しかないと思いますよ。

Takahide Kita

 

■「推薦入試」と「内申番長」(続)

一般に「推薦」という言葉からイメージするものは、能力やスキルにおいて優秀で十分にその集団に属する資格を有する者に対して一定の保証を前提として手続きの一部を免除するといったところでしょうか。

問題はこの「一定の保証」であるところの内申点がその学力や能力を正しく反映していないために、大した学力はないのにやたら内申点だけが高い「内申番長」なるものを生み出し、その結果、上位の高校、特に進学校の場合においては内申点をベースにした推薦入試のしくみが上手く機能しないところにあります。

大学付属校ならまだしも、上位進学校の場合は生命線であるところの大学合格実績に大きく影響しますから、やり方を間違えると大変ですよね。

もちろん大学付属校の場合でも、まともなところは「適性検査」と称して実質的な学力検査をやることで、「内申番長」の侵入は阻止してますからね。この場合は中学入試なんかでよくある2回入試のような感じで高校側が推薦入試をうまく活用しているといえるのではないでしょうか。

国立にある有名私立進学校なんかは、数年前に推薦入試を導入しましたが、たしか3年ぐらいで止めちゃいましたよね。理由は考えるまでもないでしょう。

大した勉強もせずに内申点だけをばっちりためこんでトップレベルの進学校に推薦入試で合格を目指すのは、やめておいたほうがいいですね。近視眼にも限度というものがあると思いますよ。

昔、誰かがいいこと言ってましたよ。「都立の最難関校の合格通知をただであげるなんて言われても、決して受け取ってはだめだ!」ってね。

トップレベルの進学校にそれに相応した学力を伴わない合格は悲惨な結果を招く確率が極めて高いですからね。そうなっちゃったら・・・ほんとうに惨めですよ。

Takahide Kita