コラム

■祈願、厄除け、招福・・・

2学期に入って、中学3年生の子供たちが順次、関西方面に修学旅行に向かっています。私が少しばかり京都や奈良のことに通じていることもあり、あちらでの観光や食事などについて、事前に相談を受けたりすることも少なくはありません。

彼らが受験生ということもあってか、あちらでの観光ルートには必ずといってよいほど、北野天満宮での合格祈願が組み込まれていますね。

私のほうは、一足先に(というか修学旅行シーズンを避けて)今年の受験生たちの合格祈願は済ませてきました。8月末でしたが、すでに北野の天神さんでは秋シーズンの修学旅行生の受け入れ準備が完了していましたね。こんな大きな看板が出ていました・・・(笑)

goukaku

この看板のとおり、北野の天神さんも今風になってましてね、時間のない方は・・・昇殿しなくても御札やおさがりが頂けるようで、まあ「合格祈願」のダイジェスト版といったところでしょうか。その他では、代理の参拝の場合などにも完全対応しているようです。ちなみに、北野天神の公式ホームページでは、合格祈願の御守りや絵馬についても通販で購入OKですね。まあ、なんせアマゾンで坊さんを葬式に呼べるご時世ですから、菅原道真公もビックリといったところでしょうね。

このような形式や段取りを省略して、果実(結果)のみを手に入れるような風潮は、私のような昭和に育った者にはなかなか馴染みません。

実は北野の天神さんは、祭神が菅公ということもあり、本来は呪いやその逆の厄除けに霊験があることでも知られています。私も厄年の時にはここで厄除けの御祓いをうけましたね。加えて、私の実家が播州の姫路なもんですから、私自身の厄年の際には厄除け用に明珍が鍛えた「明珍火箸」をあつらえたりもしました。ちなみに、明珍というのは平安時代から続く甲冑師の一門で播州鉄の名工です。

まあ、北野の天神さんですらこれだけ今風なんですから、私の田舎でもこういった伝統的な風習はもうじき無くなってしまうんでしょうかね。少々残念で寂しい気がします。

話は変わりますが、北野天満宮から少し歩いたところに千本釈迦堂があります。たしか洛中では一番古い本堂だったと思いますが、そこに例の「お亀さん」が鎮座されています。

ohuku

そうそう、私の苦手なあの「おかめ○○○○」のイメージキャラクターのお亀さんです。いつもながら、幸せを引き込むようなあの愛嬌のあるお顔を拝見するだけで、なんとなくホッとさせられますよね。これから修学旅行に向かわれる生徒諸君には是非、立ち寄ってもらいたいですね。なんせ、お多福ですから、きっと「大きな福」を授けていただけると思いますよ。

Takahide Kita

■「正しいこと」を「正しく」行う

「正しく行う」と「正しいことを行う」は全く違いますよね。最近、ほんとうにこのことの違いを考える機会が多くなりました。

多くの人は自分が信じることや上司に指示されたことを日々、正しく行っていますが、それが正しいことを行っているのかどうかはまた違った話になりますよね。定められたマニュアルどおりに業務を正しく遂行しても、上手くいかないケースって結構あります。

以前に「ゼークトの4類型」についてこのコラムで取り上げましたが、「間違ったことを正しく行う」ことは自分自身のみならず、周りも巻き込んで残念な結果を招く危険がほんとうに大きいと思います。

そこで、正しいことを正しく行おうとするとき、いつも頭を悩まされる問題が、対象者や対象物(個体)と時間の問題です。Aさんに対しては正しいことであったとしても、Bさんに対しては正しくなかったり、昨日までは正しかったことが、今日は必ずしも正しいとはいえなかったりしますからね。

私も含めて多くの人は、そこまでの経験や成功体験などによって自分の中に「ものさし」を作って、その基準をもって周りの人や物を測り、その手法を相手に押し付けがちです。そして、その「ものさし」はしばしば硬直したものであり、柔軟性を欠くことが多いように思います。

私たちの身のまわりでも、「○○中学には、前にA君が合格できたんだから、今年のB君はまず受かるでしょう。」とか、「△△高等学院は英語ができれば、数学なんか30点もあれば大丈夫!」なんて平気で語っちゃうような人、結構いるんですよね。

私、よくスタッフや、保護者のみなさんに言いますよ。「それは去年の○○中学の話しでしょ。今年は受験する生徒も違うし、入試問題も違う!」

今年も夏が過ぎ、一人ひとりの受験生に対して、「正しいことを正しく行う」ことが求められる季節になってきました。

Takahide Kita