コラム

■落ちることを怖がる生徒、落とすことを怖がる教師

PEGでは、ただいま秋季の保護者面談の真っ最中です。ほんとうに1年間は早いですよね。ついこの間に受験が終わったと思ったら、もう次の学年の受験がすぐそこまで迫って来ちゃいました。私なんかも怠惰の衣を脱ぎ捨てて、勤勉さを取り戻す時期になったというわけです。

さて、ここから先の私の一番重要な役割は、気弱になりがちな受験生、保護者のみなさんの最後尾に陣取って、後退してくるみなさんを押し返したり、連れ戻したりといったことでしょうか。

やむをえないことなんでしょうが、入試が近づいてくるにしたがって、生徒も保護者も不安を増大させていきます。要するに、入試に落ちることに対する恐怖心が鎌首をもたげてくるんですよね。しかも、中途半端な指導しかしていないような教師がこれにうまく乗っかってかたく収めようとする。

でも、入試でやられることって、そんなに悪いことでもなければ恥ずかしいことでもないのに・・・私なんか、ひとつふたつは不合格になったほうがその子の将来のためにはいいぐらいに思っていますけどね。

失敗することをおそれて、平易な道を選択しちゃう。腐ったみかんと腐ったりんごのどちらかを選んじゃう。そして、最後には毒饅頭を食べることになっちゃう。自分の力がどこまでのものか、落ちて初めて知ることができるのに絶好の機会を逃して・・・ほんとうにもったいないですよね。

そういった子たちは、負けて初めてわかることがわからないままにこれから大きくなっていくわけです。挑戦したり、より高きを目指す心をこれから徐々に削ぎ落としていきます。強いものに対する服従や難しいものに対する諦めの習慣は、多くの場合において、より弱いものに向かったり、自分の居心地のいい場所を求めて彷徨ってみたり、といったところに落ち着いていくことになるんでしょう。

自らのあるべき姿に向かって努力することなく、リスクをとることもない。そんな奴が将来いったい何に向かって何の権利を主張できるというんでしょうか。せいぜい、場末の居酒屋で会社や世の中に対する愚痴や言い訳をさも英雄気取りでぶちまけるか、あとは現実から目を背けて、自宅にこもり布団の中で夢を見続けるぐらいのことだと思いますよ。

今日も、うちの自習室では第一志望に届かなかった卒業生たちが、次回のリベンジに向けて奮戦中です。強くなりました!ほんとうに頼もしいかぎりです。

Takahide Kita

 

■心の詩(こころのうた)

きれいな心が大事だよ・・・なんて言いますよね

でも心は人の目には見えませんし、人の耳で聞き取ることもできません

でも、言葉はいくらでも綺麗に飾れます

「大丈夫だよ」、「頑張れよ」といった言葉のどこにやさしさや真実があるんですか

やさしさをはかる器は言葉ではないですよね

やさしさはその行動によってのみ語ることができるものだと思いますよ

嘘をついて人をだます人は「私を信じて」なんて必ず言う

自分のために人を利用する人は「信じる心が大事だ」なんて必ず言う

人間として何が最も卑怯で恥ずべきことか

自らは行動せずに、言葉によって人を操ったり、扇動したり

言葉によって、人を利用したり、人の真心を自分の利益に結びつけたり

自らは安全な場所にいて、わかったようなことを語り、その言葉によって人にリスクを押しつける

こういったことでしょうね

彼らの心は必ずその行いに出ますからね

彼女らの行いこそが、そのむき出しのこころ

あなたに、綺麗な言葉で語りかけてくるその人は

あなたに、勇ましい言葉で語りかけてくるその人は

いま、どこにいて、どう振る舞っていますか

Takahide Kita