コラム

■因果応報とはいえ、明るい未来へ頑張らねば

今の自分を考えるとき、自分の過去の行いを顧みて・・・「そうだよな、因果応報かな」、「やっぱり神様はよくみてはるわ!バチがあたったんやなぁ」なんてこと、しょっちゅうありますよね。私の場合は過去の行いが行いだけに、結構多いですよ!しかもかなりキツーイのが・・・(苦笑)

でも、そこで固まっちゃいけません。前を向いて、今をがんばらなくっちゃ!反省することは必要ですが、落ち込んでいても仕方ないです。何よりも、生産的でない。

過去の結果としての「現在の自分」よりも、未来の原因としての「現在の自分」を見つめなきゃダメでしょう。そして、まわりの誰かに自分の大きめな目標を宣言して、丁寧に計画を組みなおす。その上で、「倍返し」をイメージしながら行動する。

自分ひとりの力で足りなければ、真剣に誰かに助けを求めればいい。半分は失敗しても大丈夫だし、恥をかくなんてどうってことない。ほとんどは、頭をかいて笑ってごまかせばそれで済む話しでしょうよ。(お~い!聞いてるかぁ、崖っぷちに立つ我が受験生諸君!)

まあ、計画したことの半分近くでもうまくいけば、明るい未来が開けます。だって、あのイチローさんでも4割は打てなかったわけですからね。

Takahide Kita

■コロナ禍で「ふと思うこと」

一日に何度も何度も手をアルコール液で消毒しているおかげで、私のてのひらがボロボロになってしまいました(痛!)。みなさんは大丈夫ですか?

春先からのコロナウイルスの感染拡大で私たちの日常生活は大きく変わってしまいましたが、様々な視点や切り口から、連日のようにマスコミで取り上げられていますよね。もう、少々ウンザリしてきた感もありますが、現実から目を背けて日々の生活を送るというわけにもいきません。困ったものですよね。

3月以降、私が感じたことを簡潔に言えば、あらゆる場面で「個」が浮き彫りになった、ということでしょうか。学校でのリモート授業、会社における在宅勤務などそれぞれの個人が単独で成果を出さなければならない立場に置かれるようになりました。結果として、その人の本性や様々な能力が丸見えになってしまいます。普段は物静かで目立たない存在であった人が、ビックリするような成果をあげたり、残念ながらその逆の場合もあります。その差を生み出すもの、そこで問われるものは、やっぱり個人の持ち合わせているスタンダードだと思わずにはいられません。

また、それぞれの価値観や正義といったものが激しく対立するような場面にも多く出くわしました。権利ばかりを主張する人、義務に重きをおいて発言する人、またその両方をバランスよく提示する人・・・といった具合でしょうか。総じて、私も含めて世の中全体が少々「攻撃的」になってしまったようにも感じます。私の目の前の子どもたちも、懸命に取り組んでいた部活ができなくなってしまったり、楽しみにしていた修学旅行が中止になったり、今春大学に入学した1年生などにいたってはまだ一度も大学に行っていないとか・・・本当によく我慢しています。その一方で、一部の大人たちが辛抱できなくて・・・様々な問題を起こしてくれちゃいますよね。そんな時、ほんとうに「やるせない」気持ちになってしまいます。おっと!私も結構「攻撃的」になっていますかね。自らを戒める必要がありそうです。

人は神でもなければロボットでもありませんから、理性的でいられる範囲内においては良心的な生き物ですよね。その理性的でいられる範囲が一人ひとり異なるわけです。ここでもまた、その個人の持つスタンダードということになりますよね。

こういったスタンダードを身につけていく過程の真っ只中にある年頃の子どもたちをお預かりしている私たちなんですが、今回の事態でその役割や責任といったものを改めて考えさせられています。

Takahide Kita