■お彼岸
みなさんは「お彼岸」って意識されていますか?もちろん、キリスト教やイスラム教の信心をなさっておられる方もいらっしゃるでしょうから、全ての人にとって大きな意味を持つといったものではありません。私の実家は浄土真宗なもんですから、お盆に正月、それと春秋のお彼岸はそれなりの意味を持ったイベントなんです。
今年はコロナウイルスの感染拡大の影響もあって、お盆の期間に帰省、お墓参りができませんでした。もう、ここしかないとの思いで、お彼岸にあわせて姫路まで墓参に行ってきましたよ。他人様からは「今どき、律儀なことですよね」なんて言われることもしばしばです。
こうなったのも、私、こう見えても結構古くさい家の育ちでして、子どもの頃には日曜日の朝からお祖母ちゃんと一緒に仏壇磨きなんかをよくやりました。法事なんて、今どき珍しく50回忌まできちんとやります。要は線香の匂いのする家庭で育ち、様々な先祖供養の「決めごと」が自然と身にしみついてしまったというわけなんです。そりゃ、少々面倒に感じることもありますが、一年に幾度かはご先祖様のことを思い出すのも悪いことではないでしょうし、私自身も自分が逝った後、50年とは言わないまでも、家族にはたまには思い出して欲しいですからね。
ところで、うちのお墓は、姫路の市街地からは少し離れた名古山霊園という見晴らしのいい高台にあります。その日は彼岸の御中日ということもあって、周りのお墓もほとんどが、きれいに掃除が済んで、献花がされていました。
その中で、うちのはですね、とにかく墓石に年季が入っておりまして、大正年間に新調したものだそうです。古くからある家の分、墓石も古いといったところです。母親と一緒に草取りをして、花をお供えし、最後にろうそくと線香をともしてから、両手を合わせて「南無阿弥陀仏」という段取りで、ひとまずは完了です。あとは、いつものように、母親がお墓に向かって「お父ちゃん、来たよ・・・」てな感じで家族の近況を報告しています。まるで生きている父親に話しかけているようで、我が両親のことながら、なんとも「ホッ」と温かい気持ちにさせてもらえますね。
それから、もう一仕事ありまして・・・うちの家から出た立派なご先祖様の記念碑などが墓に隣接した場所に建立されており、こちらのほうにも草むしりと献花をさせていただきます。トータルで1時間半といったところでしょうか。やっとこさ我が家の「墓参り」ミッションが完了です。
正直に言いますと、幼い頃は、ここに来ること自体にあまり意味が見い出せず、億劫でしたよ。そもそも、そこに入っている人に直接会ったり、話した記憶もありませんでしたからね。でも、歳月とともに、祖父母、親父と順に逝ってからは随分と身近な場所になったように感じています。墓参を終えて帰るときに、「ほんじゃあ、また来るよ!」と声に出してつぶやいている自分がいますね。
ところで、いつも墓参りを終えると、不思議と気持ちがスッキリするんです。なんかひっかかっていた仕事を上手く終えたあとの爽快な気持ちとよく似た感じですかね。この気分を味わいに、また次もここにやって来るということになります。
Takahide Kita