■滅亡への道は善意によって敷きつめられている
よく耳にしますが、古くから西欧で使われているフレーズのようで、マルクスがその著書「資本論」の中でも引用しています。
最近、外部の方とお話や面談をする機会が多くなってきたんですが、その際に「うーん・・・」と唸ってしまうと同時にこの言葉を思い起こすことが多くなってきました。
うちの子には将来、グローバルな場で活躍してもらいたいので早い時期から英会話教室に通わせています。身体も鍛えておかなければならないでしょうから、スイミングスクールに通っています。あそこの体操教室がとっても楽しいみたいなので、うちの子も行かせています。みなさん情操教育がとっても大事とおっしゃるので、近所のお友達と一緒にピアノと絵画教室に行かせています。とにかく楽しそうに通っているので安心しています。こんな感じで、良かれと思ってあれこれやらせるといったケースがとっても多いんですよね。
これだけ屋上屋を重ねて、ほんとうに「モノ」になるんでしょうか。そのほとんどは、着せ替え人形かアクセサリーのように思えてならないんですよね。小学校中学年あたりの時期には、もっと優先順位をつけて、その一つひとつをきっちりやりきらせる習慣をつけたほうがいいんじゃないかなぁ・・・
私、今までに小学校から英会話をやっていた子で大学入試の時点で英語が優秀だった生徒にお目にかかったことがありません。このことについての私なりの分析は次のようなものなんです。
とにかく楽しく英会話をやっちゃって、期限付きでモノを覚えたり、復習したりするようなストレスが全くかかっていなかったのではないでしょうか。結果、本格的に英語の学習を始めたあとも、「自分は英語はできるんだ」といった勘違いだけが先行して、語彙力がついてこない。そもそも国語が不十分で母国語が怪しい状態だったりもしますよね。
最初から心地よい場所は疑ってかかったほうがいいと思いますよ。そこは、おそらくそういう目的で作られた空間なんですよね。少なくとも、自分自身を高めていけるような場所ではないでしょうね。
「癒し系」のお稽古やそれを楽しむ時間は確かに必要だとは思いますが、それによって変な勘違いをすることになるようだと、かえってマイナスになりますよね。場合によっては、その先の人生、地獄目指して全力疾走させちゃう、なんてことになるかもしれませんよ。
Takahide Kita