コラム

■本物とまがい物

私、昔からずっと衣料用洗剤に「ニュー・ビーズ」を愛用しているんですが・・・そうそう「驚きの白さ、すずらんの香り」というコマーシャルで有名なあれです。ある時ふと、そういえば「すずらんの香り」って、どんなだっけ?と思いましてね。そうなんですよ、私、本物のすずらんの香りを嗅いだことがなかったんです。

最近、関東エリアで本場大阪の味を売り物にして店舗数を伸ばしている外食チェーンに「串カツ○○」なんてありますが、どことなく違和感があったんです。大阪の串カツといえば(あっちでは串揚げといいますが)、みなみの横綱とかが真っ先に頭に浮かびます。私の関西にいる知人は誰も「串カツ○○」なんて知らないんですよね。あとからわかったことなんですが、この「串カツ○○」、実は大阪にはないんだそうです。キャベツの出し方やソースの流儀といった形だけは同じなんでしょう。ですから、正しくは「本場大阪風」ということになりますが、多くのお客さんは「これが本場大阪のホンモノの味か」と思って店に通われているんでしょうね。

まあ、評価が出来上がったブランドの力を上手く利用しているんでしょうが、ブランドをそこまで築き、磨き上げてきた「本物」と比べるとどうなんでしょうかね。

私たちが身を置く学習塾の場合でも、この手のブランド活用はよく見られます。先にこの場で紹介した「都立の○○塾」なんかがその典型だと思います。近年比較的良くなってきた都立高校の大学進学実績というブランド的な看板にぶら下がっちゃう。

でも、ほんとうに都立高校合格に特化したカリキュラム、スタッフ、教材を非常に高いレベルで揃えているケースはどれくらいあるんでしょうか。とりあえず、時流に乗っかって看板の架け替えをしたような場合がほとんどなんだと思いますよ。わかりやすく言えば、「都立専門風○○塾」なんてとこかな。「都立に圧倒的に強い○○学院(イメージ)」でもいいですね。

「○○風」を使ったり味わったりする前に、まずは本物のすずらんの花の香りを嗅いでみて、大阪の新世界あたりで本場大阪の串揚げを味わってみたほうがいいんじゃないかな。

まがい物や模造品(関西ではこれを「パチモン」と言いますが)はすぐに飽きられちゃいますからね。そもそもパチモンは値段が極端に安く、買う側もそうと知っている場合がほとんどですから、値段の高いパチモンは・・・ヤバイですよ。

Takahide Kita

■上手は下手の手本、下手は上手の手本

以前にも一度、世阿弥の「風姿花伝」からの話をしましたが、今回もそこからのテーマになります。

これって、「下手な人にも見るべきところがあるので、上手もそういったところはしっかり学ぶべきだ」といった意味ではないんですよね。結論から言えば、上手も下手も最も気をつけておかなければならないものは「慢心やおごり」であることを世阿弥がその弟子たちに戒めたものなんですよ。

まあ、人間は自分が辿ってきたことの上で物事を判断したり、人の器量や能力をはかりますからね。その道のプロとか名人といわれるような人は確かに素晴らしい技や成功体験を持っていますが、そうでない人に対して「ふん、所詮その程度か」、「こんな下手くそから一体何を学べというんだ」なんて思っちゃうんでしょうか。名を頼み、テクニックに隠されて自分の欠点が見えなくなってしまうんでしょうね。

一方で、いつまでも下手な人はもともと工夫や努力がないのですから、たまたま自分に備わっている長所があったとしても、それに気づかないことがほとんどですね。これでは成長のしようがありません。

自分に自信を持つのは大事なことなんですけど、それが慢心や絶対的な自己肯定になってしまうとその先のさらなる成長はないと思います。若いスタッフなんかで、こいつは能力やセンスもあってこの先が楽しみだなんて眺めていてもある時期から全く成長しなくなる、なんてことがよくありますよね。

一定のところまでは能力ややる気だけで伸びていけたとしても、そこから先は「自分はこれからも必ず成長し続ける!」と決めた人だけがさらに大きくなっていけるんだと思います。「あの人、一昔前はすごかったらしいよ」なんてよく耳にする言葉ですが、自分が言われていると思うと背筋が寒くなり、ゾッとします。昨日の自分自身に勝てるように、今日も精進していかなければなりません。

Takahide Kita