コラム

■ゴミをまたがない

昨日のYahooニュースで埼玉県の高校生が交通量の多い道に散乱した大量の折込チラシを拾い集めて警察から感謝状を贈られた記事が出ていました。そのまま通り過ぎては、何もしていない自分が辛くなるからということでした。

私もこの記事を読んで、なんだかホッとさせていただき、うれしい気持ちになりましたね。

私自身、恥ずかしながら、電車の中に転がっている空き缶を自然と拾えるようになったのは30歳を過ぎてからなんですよね。それまでは、見てみぬふりをしたり、拾っても自分が電車を降りる直前にサッと拾ったり、なんて具合で、周りの目が自分の行為を偽善と見ているのではないか、なんて考えちゃってました。

それに比べて、この高校生は16歳なんですよね。この子を育てられたご両親やご家庭のみなさんに敬意を表したいですね。

戦前のように、「至誠に悖るなかりしか、言行に恥ずるなかりしか・・・」なんて風に育てられたわけではないでしょうから、その家庭や学校などの生活環境の中で自然と備わってきたものなんでしょう。ほんとうに素晴らしいと思います。

10年ほど前から自分に言い聞かせていることに、「ゴミをまたがない」というのがあります。これは、以前勤めていた会社の先輩に教えていただいたことなんですが、その時以降、自分の行動規範の大事な一つになっています。

言葉どおり、「落ちているゴミを見てそのまま放置しない」というのはもちろんですが、それ以外の事柄においても、問題点に気づいているのに何もしないことがないように努めています。

仕事がら、これはほんとうに大切にしていかなければならないものだとつくづく考えさせられます。

Takahide Kita

■中学生になる前に身につけておきたい習慣

冬期講習も後半に入っていますが、昨日ちょうど、新中1の新年度入塾希望生との面談がありましたので、標記のテーマについて記します。

細かいことをあげればきりがないですが、最も大事なことをあげるとすれば、「やるべきときにやっておく」、「できるようになるまでやる」習慣を身につけさせることでしょうか。

勉強でも仕事でも、本来やっておくべき時にやっておかないと苦しくなります。今すぐにやらなければならないことや、明日までに締め切りの課題や仕事が山積しているような時って、ほんとうに嫌になりますよね。逃げ出したくなってしまいます。

一方で、今やっておくべきことはすべて終わっていて、これから先のことを「もっとこうしよう」、「ここはこうしたほうが効果的かな」なんて考えているときは勉強も仕事も楽しくなってきます。

今の多くの小学生はあらゆる場面で、出来るようになるまでやりきることを経験していないように感じます。例えば、鉄棒の「逆上がり」なんてクラスの半分近くも出来ないままになっているようです。「逆立ち」なんてのはもっとひどいんでしょうね。一昔前までは小学4年生あたりで、出来ないと放課後に居残りで鉄棒の練習をしていたように思います。私なんかも出来るようにならないと恥ずかしいし、放課後に友達と遊ぶ時間がなくなってしまうのが嫌で、必死に練習した記憶があります。結果、クラスで出来ないのは、やたら運動神経が鈍い女子が一人とかなり太った男子が一人なんて感じでしたね。「逆立ち」は友達との遊びの中で絶対必要でしたので、自宅の壁に向かって繰り返し練習したものです。

勉強のほうでは「分数計算」なんてのもそうですね。放課後に班単位で出来るまでやらされていました。

私いつも思いますよ、「やれば、やらせれば絶対にできるのに・・・この子にだけ出来ない理由なんてないよね。」

どんなに素晴らしい人やモノでも、できない理由やダメな理由はさがせば出てくるものですからね。

Takahide Kita