コラム

■さあ、神頼みの時期になりましたが

全力を尽くして受験勉強に取り組んできたが、現状での第一志望校合格可能性が50%・・・ということは、相手が自分と互角の力を持っている勝負になったと考えれば、あとは運が勝敗を決めることになります。

そこで、ついに「神様・仏様」の出番です。

「大丈夫!修学旅行に行った時に北野の天神さんにバッチリお願いしてきたから!」「絵馬も奉納したし、お賽銭もはずんだよ!ほら御守りもこのとおり!」

でも・・・これってほとんどの受験生がやってますよね。

真剣に神仏に願(この場合は合格祈願)をかける場合は、お願いする方も一定のリスクというか我慢が必要になります。

昔からの風習に「断ちモノ」というのがあります。

江戸時代初期の春日局の行った「薬絶ち」なんていうのは有名ですね。春日局が乳母をしていた竹千代(後の3代将軍徳川家光)が疱瘡を患った際に行いました。結果、竹千代の病は平癒しましたが、彼女は生涯にわたって薬を飲まなかったと伝わっています。

現代ではさすがにここまではやりすぎでしょうが、通常は自分の好物や嗜好品などを一定期間(願いが叶えられるまでの間)絶つことが多いですね。たとえば、受験生本人の場合は「合格するまでは大好きなケーキを食べない」とか保護者のみなさんの場合なんかだと「願いが叶うまでお酒を決して口にしない」などが考えられます。

これは神仏との約束ですから、決して破るようなことはしてはいけません。

あと、入試直前期は天神さんも大忙しでしょうから、今のうちにやっておくと効果的(ご利益絶大)かもしれませんよ。

もしこの話を耳にした生徒が、「いいなぁ、春日局って実の子でもないのに薬絶ちなんだってぇ、お母さんはもちろん私のために○○断ちしてくれるよね」なんて言って来たら、すぐに私のところまでご一報ください。

神仏の手を煩わせるまでもなく、この私が強烈な天罰を与えておきます。

Takahide Kita

■決して目には見えないけど・・・「強い心」、「美しい心」

「花も美しい、月も美しい、それに気づく心が美しい」

私の自宅の和室にかかっている色紙にこんな言葉が書いてあります。これは禅の名言で、円覚寺の足立大進老師の筆によるものです。

私の勝手な解釈はこうです。

「もし、この地上からすべてのヒトがいなくなってしまっても、そこに花は咲き続けている。そして、夜になれば月は出でる。でもその花や月を愛でる人間がいない。それでも花や月は美しいといえるのか。美しいとは人の心の感応であって、決して絶対的なものではない。」

一昔前に私が病気がちなパートナーと一緒にいた頃のことです。自宅には常に花を飾っていましたが、調子のいいときにはそれを美しいと感じていたみたいですね。逆に調子が悪いときは、まだ枯れてもいないのにすぐに捨ててしまいます。今思えば、心の状態を写すバロメーターのようなものだったと感じますね。

人はその時々の心の持ちようでその思考やそこから生まれる行動が異なってくるものなんでしょうか。おそらくそうなんでしょうね。

PEGで生徒や保護者向けに配付している「轍」という冊子があります。過去の受講生が受験生へのメッセージやアドバイスを寄稿してくれたものをまとめたものなんですが、そのほとんどには「どうしたらモチベーションを維持できるか」、「成果がついてこない時期に心が折れないようにするには・・・」などが語られています。受験生にとっては日々の心の持ちようが大切なんだなぁ、と改めて感じさせてくれます。

さて、そろそろうちの子たちの受験校を確定させる面談が始まります。彼らの「未来のカレンダー」作成の第一歩ですからね。決していい加減なことはできません。来年の2月の子供たちの心に思いをはせながら全力で取り組みます。

Takahide Kita