コラム

■ Thinking about“個別指導”

私は個別指導という指導形態はあまり好きではありません。なんか長良川あたりの鵜飼をイメージしてしまいます。教室長さんが鵜匠、学生の講師さんが鵜、生徒が魚といったところです。あと、チラシなどの広告は魚を集めるための篝火ですね。この種の個別指導では単位時間あたりの利益を考えたときに、経験豊富なベテラン講師は使えませんから担当講師のスキルが不十分な場合が多いようですね。しくみとして子供をうまくあしらってる感じが否めませんね。

現に、個別指導の塾から移ってくる生徒については入塾した後の一定期間は結構手間がかかります。変な癖がついている場合が多く、はっきり言ってこんな風になるのなら、塾に通ってないほうがまだましだったのでは・・・と思われるケースがほとんどですね。

この子たち、授業時間をはじめとして、ほとんどがオーダーメイドで、相手に合わせるということをやってきていませんから、様々な面で耐性がなくなっているようにも思われます。目標に向けてタイムテーブルを意識したような経験もほとんどありませんね。そもそも入学試験は他との競争ですから、競争することを避けているようではお話しにならないでしょう。

さらに、コストパフォーマンスがとにかく悪い!受験学年の夏期講習とかは、ビックリするような費用負担になるようです。私の感覚ですと、時間単価でざっくり3~4倍といったところでしょうか。普通の大手進学塾の夏期講習受講料をざっと3~4倍してみてください。軽く、お父さんのボーナスが吹っ飛びます。まあ、それでも成績が向上して、上位難関校に合格できればいいんでしょうけど、まあ普通に考えれば難しいですよね。

あと、にわかには信じがたいようなこんな話もありますので紹介してみますね。

「集団指導で預かっている生徒に、学校の定期テスト前にはその対策として個別指導を日曜ごとに4時間受講させる。さらに、入学試験の志望校対策と称して苦手教科を週に2回4時間、個別指導を併用させる。そんなこんなで毎月の受講料は本来の受講料の2倍、3倍と膨れ上がる。」これを「ハイブリッド営業」なんていうそうです。(笑)要するに、自分のところの指導の不十分さを利用してさらに売上や利益を得ようとする、まあ呆れて開いた口がふさがらないような話です。「生徒には10問中8問は正解できるような教材をやらせる」「生徒や保護者に成績や合格に対する言質は決してとられないように」といったマニュアルすら存在します。

一方で、マンツーマン指導の学習効果というものは確かにあるんですよね。私なんかでも、あと算数さえ何とかなれば合格圏に入っていくのに・・・といったような際にはその生徒を私の机の横に座らせて、その場ですべて習得させきるような指導を行うこともあります。これは、その子にとって逃げ場がありませんから、少々強引な形にはなってもその指導内容が着実に習得されていきますね。もちろん本科の在籍生ですので、そんなので受講料はいただきませんよ。

PEGにも個別指導はあります。ただし、こちらは利益を目的としてやっているものではありません。期間と成果目標をしっかりと決めて、これをmustでやりきる。たとえば、高校生でどうしても物理がダメといったケース。3ヶ月といった期間を設定し、その間に理解不十分な箇所をすべてつぶし、学校の進度よりも前に出る。中学受験はするが、今いまはクラスの授業に全く対応できないといったようなケース。こちらは、年度替りの2月を期限として、本科で受講が開始できるように計算や基本事項などの、いわゆる作業の習得を行う。いずれにしても講師は期限とゴールを強く意識して指導、生徒も明確な目的をもって受講し、それを達成したら後はダラダラと長居させずに本来の場所に帰す。「もう二度と戻ってくるなよ!」なんて送り出したりすることもあります。

「故障したり、劣化した船をドックに入れて修理、改修し、また海に戻す」といったイメージでしょうか。結果、うちの個別指導は平均受講期間が3ヶ月前後ということになっているんですが、これがまた、受講生が途切れることがなくて・・・まったく困ったものです。

Takahide Kita

■「道義的責任はあるが、法律的には問題ない」なんてねぇ、、、

1年間に何度か聞かされるこのフレーズ、そう、政治家の皆さんが問題を起こした際にしばしば用いられる例の方便です。本来、政治家の皆さんは私たち一般の国民に比して、より高い志や道義心をお持ちのはずなんですよね。それゆえに議員の皆さんを「選良」なんて呼んだりもします。そもそも、法律は最低限の道義として規定されたものですから、「ここから先はアウト!」といったラインですよね。「まあ、言うに事欠いて・・・」なんて呆れる破廉恥な話ではありますが、子供たちには聞かせたくはないフレーズであることは確かです。

まあそれはさて置き、10年ほど前から私が日々の教科指導をやっていく上で困っていることの一つに、次のようなことがあります。

特に中学生についてなんですが、PEGで指導している指導内容の半分ぐらいかな・・・学校で指導しない単元や知識なんですけどね、子供たちが後回しにしちゃうんですよね。「学校での定期テストに出ないから」、「模擬試験に出ないから」、「まあさしあたっては困らないので」、なんて具合でどんどん優先順位が下にもっていかれちゃうんですよ。みんなが志望する上位難関校の入学試験では、あたりまえのように出題されますから、結果的には入試が近づいてきた頃になって困ったことになってくる。

これに対して、私も手をこまねいているだけというわけにはいきませんので、手を変え品を変えて子供たちを押し戻そうとします。これがまた・・・教科の指導に比べてもかなりの重労働になってくるんですよね。

最近では、進学塾という看板を掲げている学習塾でも学習指導要領をこえる範囲について、塾の指導内容から削除することが検討されていると聞いたりもします。まあ、私が大手進学塾にいた頃にもそういったことを主張する方はいることにはいましたけどね・・・さらに、そういった類の塾の教科研修では、「そんな難しい内容なんて教える必要はない!そんなことよりも、もっと工夫をして生徒を楽しませろ、笑顔で授業をしろ、叱るな褒めろ!」なんて様子らしいですからね。これじゃあ、子供たちが勘違いしちゃいますよ。前にも言いましたが、最初から楽しい場所は、そういった目的で用意された場所に過ぎません。まあ、遊園地などの観光施設のようなものが典型ですが、決して自分を成長させ、高めていくような場所ではないんですよ。

加えて、学校の定期テスト対策まで塾でやっちゃうみたいで・・・その子たち、これから先どうやって勉強と向き合っていくことになるんでしょうか。高校に入学してからも、学校の定期テスト勉強すら自分でできないような、残念な高校生になっちゃいますよね。

そんなこんなで、子供たちの方でも、「でも、学校で困らないからいいでしょ!」なんて直接口に出して言うことはなくても、頭ではダメだとわかっていても、結局のところ軽く扱うことになってしまう。

でもね、学校の指導内容は「これ以上は一歩も引けない最低限」の内容なんですよね。「学校では困ってないから大丈夫」なんて言ってしまえば、表題の「道義的な問題はあるが法律的には問題ない」といったフレーズと同じレベルの話になっちゃいます。要するに、このラインを下回ったらアウトなんですよね。

本来あるべき姿からどんどん遠ざかって行っちゃう。その子自身のスタンダードがどんどん下振れしてしまいます。15歳の子に要求される学力水準は20年前も、今現在も、そして20年後も同じでなきゃいけないと考えているんですけどね。というか、むしろ上がっているのが普通でしょうよ。

Takahide Kita