■「教育困難大学」って、何だ?
たぶん、そうなっているんだろうなあ、とは思ってはいましたが、「やっぱりかぁ」なんて・・・残念というか、悲しい気持ちになりましたね。ふと目にとまった東洋経済の記事の内容でした。
以前からも「まだ社会に出たくない」といった理由から大学に進学する「モラトリアム」的な進学はありましたが、大学における様々な授業や単位認定の仕組みを理解することさえできずに、教員や職員に対してキレて暴力をふるったり、講義の妨害をするなんてのはまず耳にしたことはありませんでしたよ。もちろんこうした学生個人の資質が一番の問題なわけですが、こんなのを入学させた大学の側にも大きな問題があるように思いますね。
とりあえずは、文部科学省の認可を受けた学校法人が運営する「大学」なんでしょうから、本音(現状)はさておき、何とか建前の部分で踏みとどまってくれているものと思っていたんですけどね。というか、「踏みとどまって欲しいと願っていた」と言ったほうが正確ですかね。昨今の推薦入試やらAO入試やら、学力度外視でなりふり構わずに学生集めに走ったことの大きなツケがきた感じですね。
そもそも、大学の枕詞になんで「教育困難」なんて文字が付くんだ???全く理解できないし、意味がわからないですよね。もはや、このレベルでは最高学府たる大学としての矜持も一切喪失してしまって、単なる教育産業として学位を売る「大学屋」になってしまっているということなんでしょう。ほぼ学生は「客」としての扱いでしょうから、学生のほうが教員を下に見るのはある意味自然な流れなのかもしれません。本来は処分の対象となるような学生、いや本来は大学生にしてはならないようなヒトを入学させることによって商売として成り立っているわけですから。
私は、海外の大学事情には詳しくはないのでわからないのですが、こんな大学って海外にはあるんでしょうか。たぶんないんでしょうね。この記事を読んで、ほんとうに恥ずかしい気持ちになったのは私だけでしょうか。外国のみなさんには隠しておきたい、知られたくないと思ったのは私だけでしょうか。
そのうち、今度はどっかのSNSあたりに「大学落ちた。日本死ね!」なんて書き込みが出てきて誰かがまた過剰に反応するようなことにでもなるんでしょうか。もうこれ以上は勘弁して欲しいですね。こんな茶番は見たくもないし、聞きたくもないです。みなさんもうんざりしませんか。
やっぱり、存在してはいけない大学は、バッサリ潰してしまう必要があると思いますよ。数年前に週刊誌で報道された都内の大学、「理系の学部生の多くが分数計算ひとつまともにできない。こんな大学に私学助成として税金を投入してもいいのか!」といった批判に、大学側は「このヒトたちにも学ぶ機会を与えなければならない」なんて反論なさってましたけどね。まあ、そう言うしかないんでしょうが、「こんなのダメだ、おかしい」ということは、小中学生でも容易にわかる理屈ですよね。
無条件に与えられすぎた教育の行き着く先には、多くの「勘違いした個人」とそれによって構成された「奇妙な集団」があるだけだと思います。自分の居場所はその能力と頑張りでつかみ取るものでしょうよ。少なくとも私は子供たちにそう語り続けています。
ああ、そうそう、私たちのもっと身近な場所でも「教育困難学習塾」なんてのが登場するかもしれませんよね。というか子供たちや保護者のみなさんから聞いた話によれば、すでに登場しているみたいですよ。
Takahide Kita