■「キラキラネーム」で個性を表現する?
まずは、他とは違うことをする。大いに結構なことだとは思います。しかし、ヒトの名前に個性を感じることは・・・私の場合はありませんね。
グローバル時代に通用する名前を子供につける、いいことだとは思いますよ。しかしながら、日本人で最も世界的に知られた名前が「鈴木一朗」さんですからね。
なにも、「ピーチ」や「ライチ」にしなくてもね・・・(ともに実在の名前で、しかも男の子!)。こういったのをあて字で漢字にされちゃうとほぼ読めないですしね。いくら子供といっても、ヒト様の名前を間違って読むのは失礼にあたりますから、こっちのほうが気を遣っちゃいます。
私の場合、人様の名前は結構大事にするほうだと思っています。お預かりした子供たちの中でも初めて目にする名前や珍しい読み方に出会った際には、保護者の方と面談する機会などに、その名の由来やその名を付けられたご家族の思いや願いなどを必ず伺いますね。「なるほどねぇ・・・」と納得させられ、時には感動するようなこともあります。そういった「思い」も含めて、その子をお預かりすることなども大切にしているつもりです。
「キラキラさん」たち、名前はアクセサリーや衣装と違ってそう簡単には変更できませんから、大人になってからが大変なんじゃないかな。仕事に就くときには会社に履歴書出して、面接受けますよね。さらに年を重ねて、50才過ぎたら病院にも通いますよね。病院の呼び出しで、「松本さーん、松本ピーチさん!」なんてやられちゃうわけでしょ。そこで立ち上がって受付に向かう方が60才を越えたおじいちゃんなんてシーンを想像してみてくださいよ、笑えないですよね。私がその場にいたら、呆気にとられて口をあけたまま固まっちゃいます。
「今でしょ!」の林先生がいわゆるキラキラネームに対してひとつのコメントを出されたことがありましたが、結構な反響でしたね。「模擬試験の成績を上位から見ていくと、ある水準から下になると、生徒の名前がだんだん読めなくなってくる」といった内容でした。
これに対して、差別やいじめにつながるといった批判もありましたが、そもそも差別というのは人種や出身、門地などその個人や家族にはどうしようもない事由によって他と区別されたり不利益を被るといったことでしょう。そんなこと言ったら、学力テストの地域間格差を示すデータなんかも公表できなくなっちゃいますよね。ましてや、「いじめの対象になる」などと騒ぐ必要はないでしょう。私の出身の関西では希少な苗字なんかも結構ありましたし、そういった子たちはその苗字で遊ばれたり、からかわれたりしますよ。私なんかも小学生の時には、ちょくちょくやられました。「毒島」と書いて「ブスジマ」と読む苗字なんかもありましたね。女の子で、周りの友達から「ブス」と呼ばれてましたが結構勉強もできましたし、そもそも器量はかなり良かったですよ。何より性格が明るい子でしたね。
ちなみに、私も模試の判定基準作成などにかかわった経験から言わせていただければ、残念ながら林先生のおっしゃっていることは事実だと思いますけどね。少なくとも、そういった傾向は私の目にも認められましたね。この点の分析や理由付けは何年か先の教育評論家なり社会学者のみなさんにお任せしたほうがいいでしょうね。
まあ、キラキラネームを付けた保護者の方は、その子の将来、10年先、30年先、そして50年先までしっかりと考えられて、あえてそうされたわけでしょうから、まあ私たちが懸念するような様々なことは覚悟の上なんでしょう。もし、そうでなかったら、とんでもない話になっちゃいますよね。
それにしても、名前で個性を表現するという発想・・・やっぱり私には理解できんなあ。
Takahide Kita