コラム

■大学生の1日あたりの読書時間、53%が「0時間」!

こんなの聞かされると、「マジか、一体どないなっとるんじゃ!」とびっくりしちゃいますよね。それ、正常な感覚だと思います。

情報取得の媒体が電子データ化しているとか、統計上の概数処理の問題で30分未満は0時間と見做されているとか、様々理由はつけられるんでしょうが、まあ呆れる話には違いありません。私はね、これって「読まない」ではなくて「読めない」が正しいのだと思いますよ。

二昔ほど前、私の友人が大学で講師をしていたんですが、こんなふうに嘆いていたのを覚えています。「あのレベルではまともな大学の授業を受けるのはもう無理なんだよね。語彙力が少ないなんてもんじゃない、中学生以下だぞ。これ見てくれよ!」そう言って、私に担当している学生の答案を見せてくれました。まあ、ひどいなんてもんじゃなかったですよね。専門用語の意味が全く理解できていないのはまだしも、「てにをは」や接続語の使い方さえ無茶苦茶で、しかも誤字が一体何ヶ所あるんや!もちろん論理構成などは崩壊しています。読むこと自体が苦痛になるようなものが過半でした。でも、3割ぐらいはしっかりとしたものもあったわけなんですが、これもまたカラクリがありましてね。

あらかじめ「試験にはこの中から出題するよ」なんて問題を5つほど示しておいてあげるそうです。しかも、その模範解答例まで作成して配布していると言ってましたね。ということは・・・過半の学生たちは、それを覚えて正しく書き写すこともできない!こりゃ、あきまへん!ちなみに、これは日東駒専のもうひとつ下のランク帯に属する中央線沿線の「だいがく」でしたね。彼は優秀でしたから、その後バンバンすごい勢いで論文を書きまくってその数年後には他大学に助教で転出、今は地方の国立大学で教授をやっています。

あの当時(20年ほど前)でこうですからね。今はもっとえげつないことになっていることが容易に想像できちゃいます。

私の場合でも6年ほど前になるかなぁ、これとほぼ同じレベルの大学を卒業された方と知り合いになりましたが、政治や経済などの難しい話はまずダメでしたね。お互いに話していて苦痛になってストレスがたまります。バラエティなんかのTVの話題や趣味などの世間話に終始していた記憶があります。この方、就職活動に失敗されたとかでフリーターをされていましたけど、まあはっきり言って・・・まともな会社は雇わないでしょうね。性格なんかはとってもいい人なんですけど、これじゃあ仕事としては機能しないですからね。採用する会社からすれば社内に新たな扶養家族をつくるようなものでしょ。「ほんとうにそれぞれが属する集団のスタンダードって大事だなぁ」とあらためて強く考えさせられましたよ。

以前にも述べたことがありますが、とにかく大学が多すぎるんですよ。まともな高校生には遠く及ばず、一般の中学生レベル相当というような「なんちゃって大学」はもうそろそろやめにしたほうがいいですよね。その「だいがく」に授業料を納入し、経済的にその学校法人を支えるという一種の消費活動として考える以外、社会的に何らかの価値を創り出しているとはとうてい思えません。そのヒトたちにも「学びの場」が必要ということなら、他にもいろいろあるでしょう、そのヒトにとってほんとうに必要なことが学べる場所がね。別に「だいがく」である必要は全くないと思います。そもそも、「自分は勉強なんてまともにやってこなかったし、そもそも勉強なんてやる気がないから『だいがく』に行っているんだよ!」なんて言われちゃったらそれまでなんですけどね。(笑)

こういった話題に接し、一方で「大学無償化」、「奨学金滞納」問題を考えるとき、ほんとうにやるせなく切ない思いでいっぱいになっちゃいます。やっぱり「差別」は絶対にあかんけど・・・「区別」は必要なんじゃないかなあ。

Takahide Kita

■「アンチ」が出てくるようにならんとね

3月からの新年度で新たに各学年、クラスに新規の入塾生が加わっていますが、彼らの入塾の際には必ず保護者も交えた面談を行い「一人ひとりのあるべき受験の姿」を考えます。

別にPEGでなくてもいいんですよね。その子にとってうちがベストの場とは限りませんからね。面談の内容によっては、その方に他の塾をおすすめしたりすることもありますよ。

ただ残念ながら、うちも「まだまだだなぁ」と思うことがあります。それは・・・「どうしてもPEGだけはいやだ!」というような子どもが未だうちの入塾面談に現れないことですね。以前に運営していた校舎で生徒数、合格実績ともに考えられうる最高水準に達していたような時期には、保護者に連れられた(というか、引っ張ってこられた)子どもが入塾面談の際に「この塾だけはいやだー!」なんてごねたりすることが何度かありました。親は頭を下げながら「何とか預かってください、この子を慶応に通わせてやってください」、一方で子どもはふて腐れて横を向いて何も話さない。なんて具合いでした。その中の一人でたしか小学5年生の子だったかな、泣き叫びながら校舎の周りを逃げ回り、お母様に私たちも加わって鬼ごっこみたいになっちゃったこともありましたね。

その時は、「おいおい、面倒くさいことは勘弁してくれよ、事前に家族でちゃんと話しをつけてから来てくれよな」なんて迷惑がってしまいましたが、今思えばこういった事象自体が自分たちが力を発揮して一定認められたことの証左であったようにも思います。その頃に私たちがやっていた指導とその成果が周りのみなさんにかなりのインパクトをもって認知されていたということなんでしょう。

世の中で必要とされるには一定の「アクの強さ」のようなものが不可欠だと考えます。薬にも毒にもならんようでは、あってもなくても一緒ですからね。別のモノで代用が利くでしょうから、なにもそこでなければならない理由はないでしょう。私たちが提供しているものがその子にとっては毒になるようなこともないとは言い切れませんしね。

「競業はあっても同業はいない」を自負し、ある意味Nicherとしての我々にはアンチが現れる日がほんとうに待ち遠しい限りです。

Takahide Kita