コラム

■「見真」(真を見よ)

今日は春のお彼岸です。最近では、「お彼岸」と言われてもピンとこない方のほうが多いんじゃないかな。私のように小さいころに仏壇のある家で育った者にはそこそこ大きなイベントなんですけどね。

ちなみに「ぼたもち」と「おはぎ」の違い知ってはりますか?春のお彼岸にいただくのが「ぼたもち」(牡丹)、秋のお彼岸にいただくのが「おはぎ」(萩)というわけで、まあ同じものを季節感にあわせて使い分けているという、わが国らしい呼称です。

私の実家は播州の姫路なもんですから北陸地方と並んで浄土真宗の地盤のひとつです。私のところもいわゆる「お東さん」でして、浄土真宗東本願寺大谷派で先祖のお祀りをさせていただいています。お彼岸が近づいてくるとお寺さんから彼岸の案内が来ます。実家とは別にこちらで檀家になっているお寺からも先日案内が送られてきていましたね。

ところで、表題の「見真」なんですけど、東本願寺の御影堂の千畳敷の正面にドーンと掛けてある立派な額の文字なんです。これ、おそらく親鸞上人の諡号「見真大師」に由来しているんでしょうが、もともとは仏教用語で「知恵によってことを見きわめる」という意味なんです。私は、年に数回ですが御影堂にお参りさせていただくたびにこの額を拝見しますが、「真実を見よ、ものごとの本質から目をそむけるな」と言われているように感じています。

日常生活でものごとの本質を外さないようにするということはとっても大事ですが、私なんかも目の前に起きている事象の本質から目をそらし、自分の都合のいいように見てしまいがちです。時として「見真」を思い起こすことが、そんな自分に対してのブレーキや戒めの役割を果たしてくれているようにも思われますね。

私が目の前のスタッフや子どもたちと接するにあたって、マネージメントの手法や話術、数学の教科指導なんかよりもはるかに大切にしていることがあります。「できる人はその本質的な部分をしっかりとらえて決して外すことがない、逆にダメな人はそこから目をそらし、どうでもいいようなことばかりやって時間を浪費する」といった「モノの見方」や「行動規範」です。日々、エラそうにスタッフや子供たちに向かって語り続けていますよ。そう、耳にタコができるほどにね。

さて、今日は彼岸の中日ですが、桜も開花したというのに一気に冷え込んで関東では雪が降っています。今夜半から明日の朝にかけて積もるみたいですね。いやぁ、まいりました!「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉のとおり、これを限りに寒さともしばらくはおさらばしたいものです。そして、今日一日は20年ほど前に早々にあっちに行った親父のことでも思い出しながら、西に向かって手を合わせることにします。

Takahide Kita

 

■大学生の1日あたりの読書時間、53%が「0時間」!

こんなの聞かされると、「マジか、一体どないなっとるんじゃ!」とびっくりしちゃいますよね。それ、正常な感覚だと思います。

情報取得の媒体が電子データ化しているとか、統計上の概数処理の問題で30分未満は0時間と見做されているとか、様々理由はつけられるんでしょうが、まあ呆れる話には違いありません。私はね、これって「読まない」ではなくて「読めない」が正しいのだと思いますよ。

二昔ほど前、私の友人が大学で講師をしていたんですが、こんなふうに嘆いていたのを覚えています。「あのレベルではまともな大学の授業を受けるのはもう無理なんだよね。語彙力が少ないなんてもんじゃない、中学生以下だぞ。これ見てくれよ!」そう言って、私に担当している学生の答案を見せてくれました。まあ、ひどいなんてもんじゃなかったですよね。専門用語の意味が全く理解できていないのはまだしも、「てにをは」や接続語の使い方さえ無茶苦茶で、しかも誤字が一体何ヶ所あるんや!もちろん論理構成などは崩壊しています。読むこと自体が苦痛になるようなものが過半でした。でも、3割ぐらいはしっかりとしたものもあったわけなんですが、これもまたカラクリがありましてね。

あらかじめ「試験にはこの中から出題するよ」なんて問題を5つほど示しておいてあげるそうです。しかも、その模範解答例まで作成して配布していると言ってましたね。ということは・・・過半の学生たちは、それを覚えて正しく書き写すこともできない!こりゃ、あきまへん!ちなみに、これは日東駒専のもうひとつ下のランク帯に属する中央線沿線の「だいがく」でしたね。彼は優秀でしたから、その後バンバンすごい勢いで論文を書きまくってその数年後には他大学に助教で転出、今は地方の国立大学で教授をやっています。

あの当時(20年ほど前)でこうですからね。今はもっとえげつないことになっていることが容易に想像できちゃいます。

私の場合でも6年ほど前になるかなぁ、これとほぼ同じレベルの大学を卒業された方と知り合いになりましたが、政治や経済などの難しい話はまずダメでしたね。お互いに話していて苦痛になってストレスがたまります。バラエティなんかのTVの話題や趣味などの世間話に終始していた記憶があります。この方、就職活動に失敗されたとかでフリーターをされていましたけど、まあはっきり言って・・・まともな会社は雇わないでしょうね。性格なんかはとってもいい人なんですけど、これじゃあ仕事としては機能しないですからね。採用する会社からすれば社内に新たな扶養家族をつくるようなものでしょ。「ほんとうにそれぞれが属する集団のスタンダードって大事だなぁ」とあらためて強く考えさせられましたよ。

以前にも述べたことがありますが、とにかく大学が多すぎるんですよ。まともな高校生には遠く及ばず、一般の中学生レベル相当というような「なんちゃって大学」はもうそろそろやめにしたほうがいいですよね。その「だいがく」に授業料を納入し、経済的にその学校法人を支えるという一種の消費活動として考える以外、社会的に何らかの価値を創り出しているとはとうてい思えません。そのヒトたちにも「学びの場」が必要ということなら、他にもいろいろあるでしょう、そのヒトにとってほんとうに必要なことが学べる場所がね。別に「だいがく」である必要は全くないと思います。そもそも、「自分は勉強なんてまともにやってこなかったし、そもそも勉強なんてやる気がないから『だいがく』に行っているんだよ!」なんて言われちゃったらそれまでなんですけどね。(笑)

こういった話題に接し、一方で「大学無償化」、「奨学金滞納」問題を考えるとき、ほんとうにやるせなく切ない思いでいっぱいになっちゃいます。やっぱり「差別」は絶対にあかんけど・・・「区別」は必要なんじゃないかなあ。

Takahide Kita