コラム

■「アンチ」が出てくるようにならんとね

3月からの新年度で新たに各学年、クラスに新規の入塾生が加わっていますが、彼らの入塾の際には必ず保護者も交えた面談を行い「一人ひとりのあるべき受験の姿」を考えます。

別にPEGでなくてもいいんですよね。その子にとってうちがベストの場とは限りませんからね。面談の内容によっては、その方に他の塾をおすすめしたりすることもありますよ。

ただ残念ながら、うちも「まだまだだなぁ」と思うことがあります。それは・・・「どうしてもPEGだけはいやだ!」というような子どもが未だうちの入塾面談に現れないことですね。以前に運営していた校舎で生徒数、合格実績ともに考えられうる最高水準に達していたような時期には、保護者に連れられた(というか、引っ張ってこられた)子どもが入塾面談の際に「この塾だけはいやだー!」なんてごねたりすることが何度かありました。親は頭を下げながら「何とか預かってください、この子を慶応に通わせてやってください」、一方で子どもはふて腐れて横を向いて何も話さない。なんて具合いでした。その中の一人でたしか小学5年生の子だったかな、泣き叫びながら校舎の周りを逃げ回り、お母様に私たちも加わって鬼ごっこみたいになっちゃったこともありましたね。

その時は、「おいおい、面倒くさいことは勘弁してくれよ、事前に家族でちゃんと話しをつけてから来てくれよな」なんて迷惑がってしまいましたが、今思えばこういった事象自体が自分たちが力を発揮して一定認められたことの証左であったようにも思います。その頃に私たちがやっていた指導とその成果が周りのみなさんにかなりのインパクトをもって認知されていたということなんでしょう。

世の中で必要とされるには一定の「アクの強さ」のようなものが不可欠だと考えます。薬にも毒にもならんようでは、あってもなくても一緒ですからね。別のモノで代用が利くでしょうから、なにもそこでなければならない理由はないでしょう。私たちが提供しているものがその子にとっては毒になるようなこともないとは言い切れませんしね。

「競業はあっても同業はいない」を自負し、ある意味Nicherとしての我々にはアンチが現れる日がほんとうに待ち遠しい限りです。

Takahide Kita

■まだまだ、すごい人がいるんだなぁ

昨日、たまたま原子力規制委員会の委員長を務められた田中さんをニュース番組で拝見しました。退任された後、ご家族と離れてひとり福島に住んでいらっしゃるようです。震災の際の原発事故でいまだに故郷に帰ることができない人たちの傍らに寄り添うように暮らしておられます。

私、この方を誤解していました。それこそ人を見た目で判断してしまっていたようで、ほんとうに恥ずかしい限りです。以前はテレビに登場されるたびに「所詮は世間知らずの御用学者さんでしょ!」なんて先入観をもって眺めていましたよね。ごめんなさい、謝ります。

「自分にやれることは限られているが、せめて地元復興のためのパイプ役としてできることを・・・」と静かに語っておられる様子からは凄みを感じました。ほんとうにすごいですよね。以前に福島を訪ねられた際にそこの人たちと交わした約束を忘れずにやっておられるとのことでした。科学のある分野でひとつのことを究められた方が最後の仕上げをしておられるように思えて、感動を覚えました。

「たいへんですよね」、「かわいそうですよね」なんて言葉にすることは簡単です。それを行動に移すには勇気と決断が必要になりますからね。場合によっては今あるものの何かを捨てなければならないこともあるでしょう。「その時、その人はどこにいて何をしていたのか」がその人の本性なんだとあらためて教えていただきました。

「頑張ってますよ」、「たぶん大丈夫ですよ」、「この内申では難しいですよ」なんて言葉にすることも簡単です。現状を表層的に説明するだけならその人でなくてもできるでしょう。「では、こうしていきましょう」と具体的な道筋を示し、自らが当事者として、それを生徒本人、保護者のみなさんと共有しなければ全く意味がありません。もちろん、そこには誠実で迅速さを伴った私たちの行動が絶対に不可欠です。

言葉を生業としている私たちですが、どんな綺麗な言葉でも、どんな勇ましい言葉でもやはり形にはかないません。その言葉に魂を吹き込むのは私たち自身の「行い」に他ならないですからね。

Takahide Kita