■大いなる嘆き、「この内申貧民たちを如何せん」
努力や頑張り、工夫が公正に報われる世の中であってほしい。正直者が馬鹿をみたり、理屈にあわない理不尽がまかり通ったりするような社会にはしたくない。いつもこんな思いを持ちながら、子供たちに指導を行い、日々接しています。
1学期が終業し、通知簿が生徒たちの手に渡ってきましたが、やはりというか・・・内申点には今年も苦労させられそうです。
たとえば、「体育の内申点が3」、テストは頑張って90点台にありますが、「お前は運動能力自体がもともと低い」なんて言われちゃいましてね。もう、これは生徒本人の努力や工夫では如何ともしがたいですよね。「数学3を頑張って4か5にしろ!」は何とかやれるかもしれませんが、「体育や美術の3を5にしろ」はキツイというか、どうしようもない場合のほうが圧倒的に多いんじゃないかな。弊社開発の「スーパー内申君パーフェクト45」があったとしても、難しいかもしれません。(4月1日掲載コラム参照)
学校の先生は教育者である一方、評価者でもありますから、子供たちに評定を付けるのは当然のことです。評定が悪ければ、次回に向けて頑張ればいいわけですし、悪い結果に対して向き合っていくことは子供たちにとってとっても大事なことで、大きな教育上の効果が期待できます。しかしながら、これが入学試験における合否判定要素の30%を占めるとなると、ほんと生臭い話になっちゃうんですよね。
とりわけ体育や音楽、美術に家庭科の内申点を入試の合否基準に取り込まなければならない理由ってなんでしょうかね。しかも2倍の重さにまでしてね。建前としては、入試本番の科目にないから・・・といったところでしょうか。それとも、こうしなければ、誰か困る人でもいらっしゃるのでしょうか。(苦笑)
私は、こういったことについて生徒たちを納得させる説明ができませんし、今まで合理的で納得できる説明を誰からも受けたことがありません。
確かに、社会に出て会社などの組織に属した後は、自分自身が納得できないようなことでも部下などに対して指示をしたりすることはよくあります。また、会社や自分自身がいざ競争にさらされる前に戦略的に有利な外部状況をつくり出しておくこともあります。
でも、15歳の子供たちの多くが始めて直面する競争(入学試験)なんですよね。入学試験においては、入試当日の公平さが保証されている、それだけで十分でしょう。入試本番の朝、試験会場でのスタートラインは横一線であるべきだし、そうしてあげたいものです。
Takahide Kita