コラム

■「ピッカピカの進学校」って

東大何名合格とか様々なランキングや物差しがありますが、私の中での基準は私立最難関大学への指定校推薦枠の「余りかた」ですかね。この話をすると、「ちょっと変わった見方ですね」なんてよく言われます。

私は学校や学習塾などを見る際には、その集団の「スタンダード(標準)」を一番重視します。そのスタンダードが世間のそれに比して高いか低いかで、その場所の価値が決まるように思いますね。

指定校推薦についていえば、早稲田や慶応、上智などの大学側がそれぞれの指定先高校に対して学力の評定基準を示します。たとえば評定基準4.2とした場合にこの基準値をクリアしている者に推薦入試に応募する資格があるわけなんですが、高いスタンダードにある高校でこの基準をクリアしている生徒にとっては、魅力的なものにはならないんです。この生徒たちからすれば、わざわざ指定校推薦なんて利用しなくても一般入試で合格が可能ですし、もっと上位の東大、一橋大などにそこそこの確率で合格できるわけです。一方で、これが魅力的に映る生徒はこの評定基準に届いていないため、指をくわえて見ているしかない・・・したがって指定校推薦の枠が余ってしまうわけなんですよね。

逆に、スタンダードが低い高校の場合では、学内でその評定基準を満たしていても、そんな大学にはとうてい一般入試での合格はできそうもないために、この推薦枠はたいへん魅力的なものになります。たった1名の枠に希望者が殺到し、奪い合いになったりすることもあるでしょう。なんだか、「蜘蛛の糸」のような光景が目に浮かんで、少々切なくなっちゃいますよね。

ここ十数年来の入試制度改革の成果もあってか、都立高校の中にもこういった「ピッカピカの進学校」が見られるようになりました。私の知る限りでは、都立日比谷と西がすでにこのレベルにあるようです。

Takahide Kita

 

■「働き方改革」大丈夫かなあ?

最近よく目や耳にしますよね、残業時間を月100時間以内か、100時間未満かで長々ともめていたあれです。確かに日本の労働生産性については、以前から問題視されていましたから、そこにメスを入れることは大事なことなんでしょう。私の記憶が正しければ、アメリカやドイツに比べて、通貨換算(USドル)ベースで70%程度だったと思います。労働生産性は生産価値を労働時間数で除したものですから、労働時間を短くすればその値が上がるといった考え方なんでしょうが…ほんとうに大丈夫かなぁ、と少々心配になっています。

産業構造シフトによる生産価値の向上や労働分配率の改善を進めるのが先じゃあないかな、と思えてならないんですよね。

以前にも勉強のやり方改革なんてやったじゃないですか。例の「ゆとり教育」ってやつ…教育内容の効率化や学習手法などの質の方はそのままにして、量や時間を削りましたよね。

それで、どうなったんでしたっけ?

もたらされたものは基礎学力の低下、ストレス耐性の後退、そして極端な学力状況の二極化といったところでしょうか・・・。

現在の日本の労働市場は、完全失業率が欧米では考えられないような2%台に突入し、有効求人倍率も1.43倍とはなっていますが、まだまだ労働集約タイプの産業や職場が多いと思うんですよ。そのまま労働時間だけ短縮したら、やばいんじゃないかな。生産量(売上)だけ低下するか、そうでない場合は、能力的に出来る人がその分をカバーしなければならないような状況になるような気がするなぁ。

そこはシンプルに、「もっと考えて、もっと働いて、もっと稼いで、もっと使え」でいいと思うんですけどね。

「この国には資源が乏しい、いわば人が資源だ!」なんて育てられた私からみれば、教育はGDPを押し上げ、豊かさを掴み取るための一番の要所だと思っています。日本からそれを学んで、先鋭化させたシンガポールのようにやれ、とまでは思いませんが。

だって、仕事も勉強も同じで、今を楽してその先に「豊かさ」や「幸せ」はないでしょ。小学生でもわかる理屈だと思いませんか。

Takahide Kita