コラム

■今日は入試直前の日曜日、本日も受験生たちは格闘中です!

今年の中学入試はおおむね終了し、高校入試も始まっています。PEGでも受験生たちがそれぞれの「最高峰」をつかみ取ろうと必死に手を伸ばして頑張っています。

いくら多くの学校に合格しても本人の身体は一つですから、入学する学校はただ一校しかありません。今年の受験生たちはすでにここまでの入試で全員が高校生になる資格は有していますが、あと1週間で、更なる高みを目指していくことになります。

男子の場合は立教新座等の合否結果を受けて、ここからの受験校の変更も完了しました。中大付属や中大杉並から慶応義塾へ、日大二から早大学院へといった具合ですかね。例年では私立高の受験結果を受けて、とりあえず自宅の近くの都立高校に出願しておいた願書を西、国立、立川などへの都立の差し替え(出願変更)もかなりの数あるんですが、今年は内申点で大きく負けている子たちが多く、以前のように特別選考枠もありませんから・・・合格可能性0の都立に出願変更しても意味がないわけですから、こっちのほうは厳しいですね。

さて、今日の直前特訓のメニューはズバリ「入試本番での出題予想問題」です。私は数学担当ですから、ここでドーンと嵌れば一気に20~30程度の点数が上ぶれて合格判定D、Eの子たちが合格圏に入っていきます。狙いは「直前にやったかやっていないかで大きく差がつく問題」で、かつ「正解を出すまでに計算量を伴わない問題」といったところでしょうか。

ここまでの入試ではうちの子たちにとってはかなりいい感じでの出題が続いています。この流れで、2月10日以降もお願いしたいところですね。

Takahide Kita

■平仮名が書けない高校生?

これって、いわゆる文盲ということじゃないんです。正しくは、「平仮名が正確に表記できない高校生」ということなんです。特に、拗音、濁音と音便ですかね。

最初にこの話を耳にしたというか目にしたのは4、5年前の新聞の記事だったと記憶しています。都立高校普通科で国語の教鞭をとっておられる方の匿名寄稿でした。入学式を終えて、4月の授業が始まり、「ああ、今年もやっぱりいるんだな・・・」といった内容でした。

私自身、これはさすがににわかには信じがたく、イメージも出来なかったので、その後はほったらかしにして忘れかけていたんですよね。ところが、最近知り合った方で・・・ほんとうにいたんです!

この方、たとえば「ありがとう」が「ありがとお」になります。最初は近頃よく見られるようになった「遊び心で誤変換させた」だけなのかなとも思ってはみたんですが、いつもそうなんです。直接会って話してみると、やはり・・・でした。その場ですぐに間違いであることを指摘し、紙にいくつかの文例を書いて手渡したんですが、本人はそれまで全く違和感なく間違った表記を使っていたということでしたね。

これ、実は平仮名に限ったことじゃないですよね。もっと多いのは分数計算とかじゃないかな。じゃあ、どうしてこんなことになってしまうんでしょうか。

第一に、小学5年生の習得すべきときに出来ないまま放置した、または放置された。第二にそれ以降は誰からも分数が出来ないことを指摘されることがなかった。

気を付けなければならないのは、この二番目のほうです。中学生、高校生、そして大学生、社会人と歳をとるにつれて、人は心の中で思っていても人間関係がこじれるのを避けるために口には出さなくなります。

私の担当する複数のクラスで子供たちに尋ねたところ、その全員が自分の友達や知り合いで分数ができない子がいる、と答えましたね。さらに、そのことを指摘してあげたという生徒は皆無でした。中学生でこれですから、その先は容易に想像できますよね。

厄介なことに人は中身が成長しなくても、歳とともに身体は大きくなり、プライドだけは持つようになります。中学生に小学5年生の授業に出るように言っても、恥ずかしくて出ませんよね。恥ずかしがっているうちはまだいいんですが、そのうちにもうどうでもよくなったり、「そんなの出来なくても何も困らないよ!」なんて、いわゆる認知的不協和の際にみられる典型例になってしまいます。

残念ながら、こうなってしまったらもう改善の余地はほとんどありません。あとは、本人にとって居心地がいい場所をその都度さがしていくことになるんでしょうね。

うちの子供たちには、自分の手の届かないところになった葡萄は「どうせあんな酸っぱい葡萄なんかいらない!」と思って諦めるのではなく、葡萄に手が届くまで成長してもらわなければなりません。

Takahide Kita