コラム

■入学試験をやる側にも最低限求められるものがありますよね

今の子供たちは、小学校でまともな競争をほとんどやってきていません。勉強はもちろん、運動会ですら個人競技がどんどん姿を消して、かろうじて残った徒競走なんかでも速い生徒と遅い生徒のグループに分けて走っているような有り様です。負けて恥ずかしい思いをしなくていいようにとの配慮からなんでしょうか・・・。そんな中で、入学試験って今の子供たちの数少ない競争の場ですよね。

本日、私どもPEGの受験校出願の準備がすべて完了しました。これでやっと受験生一人ひとりの入試本番での得点力を引き出していくことのみに専念できます。

私たちが入学試験と聞いてイメージするのはやはり「公平さ」でしょうか。

みんなが同じ条件で競って、1点でも多くとれば合格、1点でも足りなければ不合格。そこに訳のわからん怪しげなファクターが介在する余地は本来はないはずです。もちろん、学校側の方針で内申点を加点したり、第一志望の加点をすることはあります。でもこれって、ルールですから募集要項に記載して、公表されていることが大前提でしょ。極端なことを言えば、「寄付金一口あたり入試点に10点加点」なんてのがあっても募集要項に記載されていて事前にわかっていれば対応のしようがありますからね。まあ、この場合の対応は受験を取りやめるということになるでしょうが。

以前に早稲田、慶応をはじめとして4校に合格した生徒が学校から滑り止めとして受験を勧められた格下の1校のみ不合格になったなんてことがありました。神奈川との県境あたりにある私立高校なんですけどね。内申点にかなり難のある子でしたが、入試本番では確実に合格ラインの上に50点以上は突き抜けていました。募集要項や説明会添付資料のどこをみてもひっかかるような事項の記載はありませんでした。要はこの子は初めから合格可能性が0であった学校を受験したということなんですよね。しかも、受験料を払ってね。

逆のケースでひどかったのは、「出願だけして受験はしていないのに合格通知が送られてきた」なんてのもありました。こっちは西武線沿線の私立高校です。今ではそこそこの偏差値のある学校になっているようですが、それ以来、私の生徒には受験はさせていません。

私は子供たちに「入試は公平だ」と教えます。その上で「1点の重さ」を伝えます。ですから、入学試験においていい加減なことをするような学校は受験させることができません。だって、不合格になったときに説明のしようがありませんからね。それに何より嫌でしょ。そんな破廉恥な学校がうちの子供たちの母校になるなんてね。

Takahide Kita

■言葉は怖い、活字はもっと怖い

言葉はほんとうに怖いものです。

言葉によって救われることも多いですが、何気ない一言で知らず知らずのうちに相手を深く傷つけたりもしますよね。しかも、奇妙なことに人ってこういう場合には素直に謝ることが出来ないことが多いんですよ。どうでもいいようなことだと簡単に謝れるのにね。だから、言われた方は忘れたくても忘れられない。その相手の顔を見るたびに思い出してしまう。これまで積み上げてきた人間関係が瞬時に崩壊なんてことになっちゃう。

メールなんかは活字ですから、もっと怖い。

相手の顔が見えないですから、その場で追加修正することもできないし謝ることも出来ない。結果、自分の考えや思いが正確に相手に伝わらない。相手が腹をたてて返信してくれればまだやりようもあるんでしょうが。

以前、私もメールで大勢の方々に指示や報告を出したりしていましたが、送信する前には何度も何度も読み返したものです。「この部分はしっかり伝わるだろうか。あの人なんかは曲解するんじゃないだろうか。」なんて具合ですよね。

私たちは、この「言葉と活字」を生業としています。しかも、その「言葉と活字」の多くは感受性の豊かな子供たちに向かいます。ひとつ間違うと、子供たちのモチベーションを大きく損なったりもしますが、怖がって表面上だけの「なでなで」で済ませてしまえば子供たちは勘違いをしちゃいます。

だから相手の顔を見ながらの声かけと面談がとっても大事になるんですよね。特にこれからの2ヶ月間は五感を研ぎ澄ませながらの生徒たちとの「にらめっこ」になります。

Takahide Kita