コラム

■「自然体」に憧れます

「自然体」って言葉、いいですよね。大好きです。

でも、自然体を気取っている人、ほんとうに多いですよね。この手の「なーんちゃって自然体」、こちらは大嫌いです。

いざとなった時にものの役にたたない。鉄火場なのに空気が読めず、「そもそも・・・」なんて言い始めて足を引っ張る。はっきり言って邪魔になります。

「世の中、お金だけじゃないよね」、「人間は学力だけじゃないよね」全くもってそのとおりです。この宇宙で数少ない真理と言ってもいいくらいです。しかし、これって能動的にやりきって、その先に至って初めて口にできる言葉でしょう。やりもせず、やる前から・・・そういう人いますよね。

作家の城山三郎さんは小説の中の主人公にこう語らせています。

「出世ばかりの男はつまらない。しかし、出世を諦めた男はもっとつまらない。」

とことんやってみて、行けるところまで行ってみないことには自分自身の居場所ってわからないと思いませんか。やれるところまでやって、何かを成し遂げて、その上での「自然体」・・・これってものすごい凄みがありますよね。

おそらく私には一生かけてもたどり着けないように思います。(決して諦めてはいませんが・・・)

だからこそ、憧れます。

Takahide Kita

■「合格」について考える

厳しかった受験勉強の成果が判定される合格発表「あった!受験番号295、合格!」感動して、場合によっては涙して、一気に今までの不安から解放される瞬間です。

さて、そこを終わりと考えるか、始まりと考えるか。

残念なことに、多くの受験生や保護者のみなさんが「ゴール(終わり)」にしちゃうんですよね。その時は私自身もそうだったように思います。

中学入試の場合、特に多いですね。入学して、そこから本格的な英語の勉強を始めていくわけですよ。名門の私立中高一貫校に入学したのに大学受験で思うような結果が出せないケースはほぼ英語が壊滅的な状態になっています。せっかく同じ世代(同じ学年)の中で、上位数パーセントのポジションをこの時点では獲得できているのにほんとうにもったいない話です。

高校入試の場合、特に大学受験を考えて都立G作成校などの進学校に入学したようなケースでは、入学した高校1年生の春の時点で、大学入試を同じフィールドで争う相手である中学入試経由の私立中高一貫生に比して、カリキュラム的に大きく遅れているわけですよね。これから追いついて、追い越さなければならない。でも、多くの合格者(入学者)がそのリスクに気づいていないというか、誰も気づかせてあげていないというか・・・これではまるで「鳥なき里のコウモリ」です。

中高入試では合格した時こそが、勝負なんですよね。チャンスと言ってもいい。

その先のビジョンを明確にして、スケジュールを立てる。そして、すぐに次のステージを目指してスタートを切る!あとは限度をこえてサボったりしなければ大丈夫です。

ちなみに、受験番号295は私自身の中学入試と大学入試のときにいただいた受験番号です。偶然の一致でしたが・・・大学のほうは滑り止めに受けた関西の方のD大学ですが、中学のほうは母校になりました。

Takahide Kita