コラム

■「合格」について考える

厳しかった受験勉強の成果が判定される合格発表「あった!受験番号295、合格!」感動して、場合によっては涙して、一気に今までの不安から解放される瞬間です。

さて、そこを終わりと考えるか、始まりと考えるか。

残念なことに、多くの受験生や保護者のみなさんが「ゴール(終わり)」にしちゃうんですよね。その時は私自身もそうだったように思います。

中学入試の場合、特に多いですね。入学して、そこから本格的な英語の勉強を始めていくわけですよ。名門の私立中高一貫校に入学したのに大学受験で思うような結果が出せないケースはほぼ英語が壊滅的な状態になっています。せっかく同じ世代(同じ学年)の中で、上位数パーセントのポジションをこの時点では獲得できているのにほんとうにもったいない話です。

高校入試の場合、特に大学受験を考えて都立G作成校などの進学校に入学したようなケースでは、入学した高校1年生の春の時点で、大学入試を同じフィールドで争う相手である中学入試経由の私立中高一貫生に比して、カリキュラム的に大きく遅れているわけですよね。これから追いついて、追い越さなければならない。でも、多くの合格者(入学者)がそのリスクに気づいていないというか、誰も気づかせてあげていないというか・・・これではまるで「鳥なき里のコウモリ」です。

中高入試では合格した時こそが、勝負なんですよね。チャンスと言ってもいい。

その先のビジョンを明確にして、スケジュールを立てる。そして、すぐに次のステージを目指してスタートを切る!あとは限度をこえてサボったりしなければ大丈夫です。

ちなみに、受験番号295は私自身の中学入試と大学入試のときにいただいた受験番号です。偶然の一致でしたが・・・大学のほうは滑り止めに受けた関西の方のD大学ですが、中学のほうは母校になりました。

Takahide Kita

「不合格」について考える

まともな学校の入学試験では合格者よりも不合格者のほうが圧倒的に多いでしょ。「不合格」ということは「あなたはうちの学校には入学する資格がない」と言われたわけですよね。まあ、首から上の自分を否定されたわけです。だから、受験生も保護者もとにかくこれに怯えちゃう。

怯える必要なんかないのに・・・だって、こういうことって社会に出たら日常茶飯ですよね。大好きな女の子(男の子)に告白して、ふられるのと同じでしょう。ちなみに、私の場合は女の子にふられるほうがよりダメージが大きいですね!(笑)

「不合格」になったという事実は変えようがない。しかし、そこから先のやりようが大事で、そのやりようによってはこの「不合格」の持つ意味を変えることはできるんですよ。

「自分には何が足りなかったのか?」って考える。そして、また新たなポジションをとって次の目標に向かう。もちろん、全力を尽くしての「不合格」であったことが大前提なんですけどね。

私、毎年受験生にこういった声かけするんですよ。何回も、毎日のように、繰り返してね。特に、入試本番が近づいてだんだん元気がないように見える中学受験生には。

「○○中学に落ちてもいいんだよ。お父さんも、お母さんも、誰もお前のことを絶対に責めたりしないから!」

12歳の子が、責められると思ってるんですよ。恥ずかしいと思ってるんですよ。

「不合格」は確かに残念ですが、決して恥ずかしいことなんかじゃないのに・・・

Takahide Kita