■内申点という「考課表」の価値が私にはよくわかりません
「あいつは内申点を軽視した受験指導をする。」、ずいぶんと前からよく言われました。
正直に言います。「軽視はしていません。だってそれがルールですからね。ただ、内申点というものに価値が見い出せないだけなんですよね。それと半分あきらめのような感じですね。」理由は以下の通りです。
15年ほど前の生徒になりますが、数学が抜群の子がいました。おそらく難関高校の入試問題を解くということについては、そこらの塾の講師なんかよりはるかに高いレベルにあったと思います。でもこの子、数学の内申はずっと3なんですね。私、聞きましたよ。
期末テストは?
生徒Y「期末テストは100点、その前も100、その前は98かな。」
じゃあ、なんで通知表3なんや?
生徒Y「おれ、質問点ないから。」
質問点、なんじゃそりゃ。
生徒Y「うちの先生はテストの点数はあんまり重視しないんだよ。やる気とか頑張りをみるみたいよ。」
なんで質問しない?
生徒Y「おれ、解るから。」
ほかの連中は?
生徒Y「解ってても質問作って先生に持っていってる。先生喜ぶし、内申上がるからね。」
もうええよ、もうええ。点数さえしっかりとってればいい。
この生徒、公立高校では普通科にすら出願することが出来ませんでしたが、R高校を滑り止めにして、受験した全校に合格しました。この子が最終的な進学先を選ぶ際に、「先生、大学入試って内申は関係あるんですか?」って聞かれましたね。「内申?そんなもん関係ない。まともな大学は実力(学力)勝負やね。おれも内申なんて奨学金とったときにしか使わんかったな。」
この子、K高校もW高校も蹴って進学校に進みました。大学は国立のH大学から大手銀行に就職して活躍しています。
また、こんなこともありました。
「内申点の絶対評価化」が導入されたときに、23区内の公立中学の保護者向け説明会にもぐり込んだことがあります。このとき、説明をなさっておられた進路担当かなんかの先生は、「内申点は教科の得点力や能力を評価するのではなく、人格を評価します。」とおっしゃいました。
人格を評価?とんでもない!耳を疑いましたね。
「あなたの数学の能力は1です。」これはある意味納得できますが、「あなたの人格は1です。」って・・・ありえないでしょ!
他にも、県立トップの高校を強く第一志望にしている子がいましたよ。この子、内申点が27でしたね。当時は入試問題が共通問題でしかも内申比重が重かったですから入試本番での逆転が難しく、確か満点をとっても合格できないような状況だったと記憶しています。私立難関校に5校合格したため、てっきり公立は棄権で受験しないと思ってましたが、本人が「第一志望だからしっかり受けてこないとね。」と言って受験に行きましたよ。結果は言うまでもありません。
こんな時にはいつも思い起こしちゃうんですよね。今はすでに解体してなくなっちゃった「北の大国」、学校から職業まで、教師や上司の考課表で決まっちゃうお国がありましたよね。私にしてみれば、「内申点」ってそんなイメージですかね。
何より、ほんとうに内申点がその学力を正しく表せているものならば、入試自体を内申点のみで決しても大丈夫なわけですよね。なら、どうして私立上位校は推薦入試において適性検査と称する学力検査を導入しているのでしょうか。
内申点が入学試験において合否を判定する要素であり続ける限り、こんなことはこれからも起き続けます。というか、実技4教科の内申比重が2倍になった都立高入試ではさらに顕著になりますよね。それでもルールはルールですからしょうがありません。ただ、どのようなルールが最も適正で、本来あるべき姿に近いものかは、歴史が証明しているようにも思うんですがね。
できることならば、どんなに狭い道でも構いませんから他人の評価ではなく、その子の頑張りだけで開ける道を公立高校の入試にも残していただきたいものです。
Takahide Kita