コラム

■私にも「こだわり」がありましたよ

私の古くからの友人でやたら「こだわり」という言葉を使う人がいます。私より5歳ほど年長の方ですが、車、バイクから食べるものや着るものまであらゆるものに対して徹底してこだわりを主張されるんですよね。口癖は「男はこだわりを持たんとだめだ」です。

まあ、私のほうといえば、食べ物関係でポテトチップスは湖池屋、ヨーグルトはチチヤス、醤油は龍野のヒガシマルといったぐらいかな、と思っていたんです。

ところが、先月自宅にいらっしゃった方に「あんたはほんまに季節感にはこだわるなぁ」なんていわれましてね。「なるほどそういえばそうかもしれない」と改めて思ったわけです。

たしかに自宅の各部屋に飾ってある絵やタペストリーなんかは季節ごとに取り換えてますし、そうしないとなんかしっくりこないんですよね。もうすぐ正月ですが、毎年かならず南天飾りはします。それが終われば、桃の枝を買ってきて出窓の花瓶にさしておく、なんて感じです。

季節の旬の味もほぼ忘れずにいただいています。GWあたりからは幼鮎、夏には鱧、そうそうこれからは寒鰤がおいしいですよね。千枚漬やすぐきなんかもそろそろ店頭に並ぶ頃です。

春になれば、祇園の「都をどり」は必ず観に行きますし、梅雨の時期には自宅近くの高幡不動の「紫陽花まつり」は欠かしません。

「こだわり」って、すでに自分の日常になっていて、人に言われてあらためて気がつくようなものなんでしょうね。

そろそろ冬至が近づいてきたんで、明日あたり柚子でも買いに八百屋をのぞいてみますか。今年の柚子湯は12月21日です。

Takahide Kita

■入学試験をやる側にも最低限求められるものがありますよね

今の子供たちは、小学校でまともな競争をほとんどやってきていません。勉強はもちろん、運動会ですら個人競技がどんどん姿を消して、かろうじて残った徒競走なんかでも速い生徒と遅い生徒のグループに分けて走っているような有り様です。負けて恥ずかしい思いをしなくていいようにとの配慮からなんでしょうか・・・。そんな中で、入学試験って今の子供たちの数少ない競争の場ですよね。

本日、私どもPEGの受験校出願の準備がすべて完了しました。これでやっと受験生一人ひとりの入試本番での得点力を引き出していくことのみに専念できます。

私たちが入学試験と聞いてイメージするのはやはり「公平さ」でしょうか。

みんなが同じ条件で競って、1点でも多くとれば合格、1点でも足りなければ不合格。そこに訳のわからん怪しげなファクターが介在する余地は本来はないはずです。もちろん、学校側の方針で内申点を加点したり、第一志望の加点をすることはあります。でもこれって、ルールですから募集要項に記載して、公表されていることが大前提でしょ。極端なことを言えば、「寄付金一口あたり入試点に10点加点」なんてのがあっても募集要項に記載されていて事前にわかっていれば対応のしようがありますからね。まあ、この場合の対応は受験を取りやめるということになるでしょうが。

以前に早稲田、慶応をはじめとして4校に合格した生徒が学校から滑り止めとして受験を勧められた格下の1校のみ不合格になったなんてことがありました。神奈川との県境あたりにある私立高校なんですけどね。内申点にかなり難のある子でしたが、入試本番では確実に合格ラインの上に50点以上は突き抜けていました。募集要項や説明会添付資料のどこをみてもひっかかるような事項の記載はありませんでした。要はこの子は初めから合格可能性が0であった学校を受験したということなんですよね。しかも、受験料を払ってね。

逆のケースでひどかったのは、「出願だけして受験はしていないのに合格通知が送られてきた」なんてのもありました。こっちは西武線沿線の私立高校です。今ではそこそこの偏差値のある学校になっているようですが、それ以来、私の生徒には受験はさせていません。

私は子供たちに「入試は公平だ」と教えます。その上で「1点の重さ」を伝えます。ですから、入学試験においていい加減なことをするような学校は受験させることができません。だって、不合格になったときに説明のしようがありませんからね。それに何より嫌でしょ。そんな破廉恥な学校がうちの子供たちの母校になるなんてね。

Takahide Kita